年下の昇進を笑顔で祝えなかった男が、その悔しさを力に変える自信を再駆動するには?
「おめでとう」と言いながら、内側では何かが崩れていく。その感覚を認められない時、人は怒りという別の感情にすり替えてしまう。
「おめでとう」と言った。
笑顔で、肩を叩いて、祝福した。
年下の同僚の昇進を。
でも帰りの電車で開いたのは、転職サイトだった。
別に、転職したいわけじゃない。
ただ、何かを検索していないと落ち着かなかった。
このままここにいていいのか、そんな問いを自分に突きつけたかった。
いや、正確には、自分を責めたかった。
なぜなら、その瞬間まで自分でも気づいていなかったから。
自分が、嫉妬していたことに。
嫉妬なんて、認めたくなかった。
男として、恥ずかしい。
大人として、情けない。
こんな感情を抱くなんて、自分は器が小さいのか。
だから、別の言葉に変換した。
「会社は俺の実力を分かっていない」
「評価基準がおかしい」
「こんなところに長くいても意味がない」
怒りに変えたほうが、楽だった。
悔しいと認めるより、会社が悪いと思ったほうが、まだ自分を保てた。
でも本当は、怒っているんじゃない。
傷ついている。
人は、嫉妬を認められない時、それを怒りに変換する。
怒りは、嫉妬より強く見えるから。
怒りは、自分が弱い立場にいることを隠してくれるから。
けれど、怒りで覆い隠されたものは消えない。
ただ、奥に沈むだけだ。
何に傷ついたのか。
それは、ただ年下が昇進したことだけではない。
もっと複雑で、もっと深い。
ひとつは、「自分の価値が否定された」という感覚。
長く働いてきた。
真面目にやってきた。
家族のために、責任を果たしてきた。
それなのに、自分より後から入ってきた人間が先に行く。
その時、頭では「実力があるから当然だ」と理解していても、心はそうは受け取らない。
むしろ、「自分の忠誠心は、何だったのか」という問いが浮かぶ。
もうひとつは、「労われていない」という寂しさ。
別に特別扱いされたいわけじゃない。
ただ、「お前もよくやってきたな」と、誰かに言ってほしかった。
認めてほしかった。
でも誰も、そんなことは言わない。
会社は成果を出した人間を評価する。
それは正しい。
でも、正しさだけで人は満たされない。
結局、男は泣けない。
悔しさも、やるせなさも、寂しさも、言葉にしてはいけない気がしている。
だから、泣く代わりに怒る。
怒って、転職サイトを開いて、自暴自棄になる。
「こんな会社、辞めてやる」
そう思うことで、自分がまだ主導権を握っている気がする。
でも本当は、逃げているだけだ。
自分の心から。
嫉妬を認めることは、恥ずかしいことじゃない。
むしろ、人間らしいことだ。
誰だって、自分が評価されないのは辛い。
誰だって、努力が報われないと感じれば悔しい。
誰だって、他人が先に行くのを見れば、焦る。
それを感じることは、弱さではない。
ただ、生きているということだ。
そして、その感情と向き合わないまま転職しても、どこかで同じことが起きる。
場所を変えても、自分が変わっていなければ、構造は繰り返される。
本当に必要なのは、職場を変えることではない。
自分の感情に、ちゃんと目を向けることだ。
「悔しかった」
「やるせなかった」
「寂しかった」
その言葉を、自分に許すこと。
それは弱音ではなく、正直さだ。
感情を認めた時、不思議なことが起きる。
それまで暴れていた何かが、少しずつ静かになっていく。
理解された感情は、暴れ続けなくていい。
見ないふりをされていた感情が、ようやく言葉になった時、それは少しずつ落ち着いていく。
そして、その時初めて、冷静に考えられるようになる。
本当に転職すべきなのか。
今の場所で、まだやれることがあるのか。
そもそも、自分は何を大事にして生きていきたいのか。
その問いに辿り着けるのは、感情を押し込めた時ではない。
ちゃんと感じ切った後だ。
嫉妬を認めることは、自分を認めることに繋がる。
完璧じゃない自分。
時に器が小さい自分。
傷つきやすい自分。
でも、それが人間だ。
そして、その弱さを見ないふりしなくなった時、人は少しずつ強くなる。
本当の強さとは、何も感じないことではない。
感じた上で、それでも立っていることだ。
転職サイトを閉じて、もう一度、自分に問いかけてみる。
「本当は、どうしたい?」
その問いに、素直に答えられるようになった時、次の一歩が見えてくる。