見て見ぬふりを続ける男が、自分の未熟さと向き合う勇気を出すには?
「なんとなく苦しい」
「なんとなくズレている」
「このままでいい気がしない」
その感覚を、
“気のせい”として処理し続けていないか。
本当は、ずっと前から気づいていた。
でも、真正面から見ると、
今までの自分が崩れそうで怖かった。
だから人は、
違和感を感じても、
忙しさや理屈や正しさで上塗りする。
「考えすぎだろう」
「みんな我慢してる」
「自分が未熟なだけかもしれない」
そうやって、
感覚を打ち消していく。
けれど、
違和感というのは、
敵ではない。
むしろ、
“本来の自分”が残している痕跡に近い。
違和感があるということは、
まだ感覚が死んでいないということでもある。
本当に苦しいのは、
違和感そのものではない。
違和感を感じながら、
見ないふりを続けることだ。
自分をごまかし続けることは、
想像以上にエネルギーを使う。
表面上はうまくやれていても、
どこか疲れる。
どこか満たされない。
どこか力が出ない。
それは、
自分の中で分裂が起きているからだ。
本音と建前。
感覚と理屈。
やりたいことと、やるべきこと。
そのズレを抱えたまま、
人は長くは走れない。
違和感を放置しなくなったとき、
新しい自分への再構築が始まる。
最初は少し怖い。
認めたくなかったこと。
避けていた感情。
本当は嫌だったこと。
そういうものが浮かび上がってくるから。
でも、不思議なことに、
真正面から向き合い始めると、
違和感は少しずつ形を変えていく。
ぼんやりした苦しさだったものが、
「だから苦しかったのか」という納得感に変わっていく。
不快感や違和感を徹底的に掘り下げれば、
快感や納得感に変わることがある。
逆に、中途半端に扱うと、
同じことを何度も繰り返す。
だから必要なのは、
自分を責めることではない。
ちゃんと見ること。
「本当はどう感じているのか?」
「何が引っかかっているのか?」
「何をごまかしてきたのか?」
そこに関心を向けること。
もちろん、
違和感を抱えたまま生き抜くこともできる。
それも間違いではない。
人には人のタイミングがある。
まだ見ないことで守られている部分もある。
無理やり剥がせばいいわけではない。
ただ、
もし今、
「もうごまかしたくない」
「ちゃんと生きたい」
「このまま終わりたくない」
そんな気持ちが少しでもあるなら、
そこが入口になる。
少しの勇気は必要だ。
でも、その先は、
案外らくになる。
ずっと緊張しながら、
自分を監視し続けなくてよくなるから。
本当の意味での力は、
無理をしている時ではなく、
ズレが減った時に出始める。
力みなく、解放された状態で、精神エネルギーを最も効率よく放てるようになる。
見て見ぬふりをやめる。
それは、
劇的に人生を変えることではない。
むしろ逆だ。
置き去りにしてきた自分を、
少しずつ回収していく作業に近い。
本当の自分は、
どこか遠くにいるわけではない。
ただ、
見られていなかっただけなのかもしれない。
「見て見ぬふり」を続けている限り、
人生は大きくは変わらない。
でも逆に言えば、
見て見ぬふりをやめた瞬間から、
人は静かに変わり始める。