小冊子「愛毒」
はじめに
あなたは、今の自分に心から満足していますか?
不満はないけれど、心から満足しているとは言えるかな……。そんな風に思ったかもしれません。
では、あなたはどんな自分になれたら、心から満足できるのでしょう?
仕事で成功を手に入れたら?
好きなことをするのに十分なお金を得たら?
フォロワーがたくさんいて、たくさんの人に好かれたら?
精神科医として20年、人の精神を見つめ続けてきましたが、残念ながら物質的なことでは、心からの満足を得られる人はほとんどいません。
一般的に「幸せ」と言われる状態になったはずなのに、なぜか満足できない。だから、もっと頑張る。それでも、やっぱり心からの満足が得られない。そんな頑張ることのループから抜け出せない人たちが、たくさんいるんです。
何をやっても、いつまでも心からの満足を得られないのは、苦しいです。
十分に幸せなはずなのに満足できないなんて、「自分は贅沢なのかも」と自分を責める人もいます。
なぜ、そんなことが起きてしまうのでしょう。それは、自分を不自然な形にはめようとしているからだと思うんです。あなたが理想として思い描いている生き方は、あなたにとって本当に自然な生き方でしょうか?
古代ギリシャの哲学者であるプラトンの時代から、誰にでも自然に備わっている“才”があると言われています。その”才”を力みなく自然に発することができたとき、あなたは心からの満足を得られ、それがあなたにとって一番美しい生き方になるはずです。
では、あなたの“才”を力みなく自然に発揮するには、どうしたらいいのでしょう?
日々、患者さんと向き合うなかで、その方法を見つけることができました。
わたしは、医療現場で行われている薬の治療や、単なる受け止めや共感するだけのアプローチでは絶対に解決出来ない部分があることを、長年、実感していました。
しかしあるとき、薬ではなかなか回復の兆しが見られなかった方が、精神内界に潜んでいる引っかかりがポロっとほころびて、みるみる回復。興味や喜びが増し、自己実現にいたったことがありました。
それは、目覚ましい変化でした。
そんな精神や自我がよみがえる現象をたくさん見てきて「ああ、これは、薬ではどうにもできない毒だな」と気づきました。
「その毒が、なんなのか?」
そこから精神分析を本格的に学び、エネルギー論やフラクタル構造、神話、スピリチュアルなど医学以外の学びからも、自分なりに考察を深めました。
様々な学びをするなかで、精神医療とまったく無縁の人たちと交流していくうちに、その毒の正体を突き止めたのです。そして、「この毒は患者さんたちだけでなく、人類一般にあてはまるものだ」と確信しました。
わたしは、その毒を“愛毒(あいどく)”と名づけました。
精神が愛毒に侵されていると、不自然な生き方なのに、「それが理想」だと思い込んでしまいます。才を発揮できずに、いつまでも満足を得られない状態が続いてしまいます。
しかし、愛毒に侵されていない人は、ほとんどいません。それは、わたしの20年の診療でも明らかです。
今は目の前の患者さんにしか使っていない“愛毒”の理論が広まれば、精神医療と無縁の人たちも“才”を自然に発揮できるようになる。もっと多くの人に広めなければいけない。そんな使命感にかられて、愛毒の理論を一冊の本にまとめることにしました。
自分に備わっている“才”を発揮するには、どんな人でも愛毒の解毒が必要不可欠です。
愛毒が解毒できれば精神が成熟し、あなたの“才”を存分に発揮できるようになります。
実際に解毒をしたことで、人生が好転した方がたくさんいます。
・趣味で描いていたイラストで才が発揮され、大きな仕事を得た方
・会社に勤めることも、結婚もあきらめていたけれど、解毒後、その両方を手に入れた方
・お金のトラブルが解決し、ライフワークとしてアーティスト活動を始めた方
・仕事で素晴らしい結果を出しても心が満たされなかった方が、解毒により、自信がみなぎり会社から独立。ファンを獲得しながら、独自のビジネスができるようになった。
例をあげたらキリがないほど、愛毒を解毒したのち、輝きを手に入れて、羽ばたいていく姿を見てきました。あなたも解毒をすれば、何にも縛られずに才能を発揮して、どこへでも自由に羽ばたいていくことができるようになるはずです。
この物語は、愛毒により“才”を発揮できずにいることで、なんとなく自分が鳥かごに閉じ込められているような窮屈さを感じている女性、マリコの物語です。
もしあなたが、マリコと同じように、どこか自分を発揮できていないような物足りなさを感じているのなら、この物語を読むだけでも、愛毒の解毒が始まっていくでしょう。
さあ、マリコと一緒に愛毒の解毒を始めましょう。そして、精神的な自由を手に入れて、あなたの美しい生き方を、ぜひわたしに見せてくれませんか?
プロローグ
……あれ? スマホの画面をスクロールさせながら、わたしは驚きで目を見開いた。
「響子さん、ずいぶん雰囲気変わったな」
インスタグラムに投稿された響子さんの写真は、わたしが良く知っている響子さんと別人のように思えた。
4年前まで、わたしは広告代理店に勤めていた。そこでよく面倒を見てもらっていた5歳年上の響子さん。彼女からインスタに突然DMが届いたのは、昨夜のことだった。数か月前にインスタを始めて、偶然わたしのアカウントを見つけたと言う。
響子さんからの久しぶりの連絡はわたしをドキドキさせた。いつもその背中を追いかけてきた、憧れの先輩だったから。
仕事を丁寧に教えてくれたのも、悩んでいる時にさりげなくご飯に誘い、相談に乗ってくれたのも響子さんだった。後輩にやさしかっただけじゃない。若いうちから大事なプロジェクトに抜てきされるような、優秀な人だった。
わたしはもう一度、響子さんの写真をまじまじと見る。何年も会っていないのだから、髪型や服の趣味が変わることに不思議はない。でも、見た目が変わっただけではない。そんな感覚を覚えた。
響子さんと一緒に働いていた広告代理店を辞めたのは、息子が3歳になったころだった。子育てと仕事の両立に悩んだ結果「この職場でなくても、仕事はできる」と家族との時間を優先することを決め、定時で帰れる自宅近くの会社に転職した。以前の仕事に比べるとわくわくするような仕事内容ではないし、響子さんと一緒に働いていたあの頃の自分の方がイキイキしていたように思うこともある。でも、子どもとたくさんの時間を過ごせるようになったのだから、それでいい。そう自分で納得できている。それでも、ときどき自分のことを「まるで鳥かごの中で羽を広げられない小鳥のようだ」と思うことがあった。本当はもっと大空を飛べていたのでは……。そんな思いが、胸の内側に薄い膜のようにこびりついて、拭い去れない。
響子さんからのランチのお誘いに「わたしも、久しぶりにお会いしたいです!」と返信したが、響子さんが今のわたしに会ったら、どう思うだろうか、ふとそんな不安がよぎる。
思い出されるのは、退職を告げたあの日、「家族は大切にしないとね!」と応援してくれたが、どこか寂しげだった響子さんの顔。きっと、わたしに期待してくれていたのだろう。そうやって響子さんの元を離れたのに、キャリアアップとはほど遠いところにいる、今のわたし。
響子さんとの再会の日は、あっという間にやってきた。約束したレストランに到着すると、待ち合わせの10分前で、響子さんはまだ到着していない。店員に案内されるままに席に着き、テーブルに置かれたランチメニューを手に取って眺めていると「マリコ!」とわたしを呼ぶ明るい声がした。顔をあげると、4年前とは雰囲気ががらっと変わった響子さんが、はじける笑顔で立っていた。以前の響子さんは上品で派手過ぎず、でもしっかりと流行を抑えたファッション雑誌から抜け出たようなコンサバスタイルだったけれど、今わたしの目の前にいる響子さんは、黒のワントーンコーデにビタミンカラーのスニーカーといういで立ちで、まるでデザイン事務所かアート関連の仕事をしている人みたいだった。素敵だったロングヘアも、耳の下で短くカットされ、響子さんのはじける笑顔にお似合いだった。
はじける笑顔。そう、響子さんは屈託のないはじける笑顔をわたしに向けている。服装や髪形の変化に気を取られていたけれど、本当に変わったのはこの笑顔なのかもしれない。
響子さんの笑顔につられるようにわたしの頬もゆるみ、お互いに興奮気味に久しぶりの挨拶を交わした。
「息子くんは、元気?」「今はどんな仕事をしているの?」「仕事は、楽しい?」
食事をしながら響子さんは、矢継ぎ早に質問を投げかけたが、質問に答えているうちに、あの頃からなんの発展もないどころか、むしろ縮小さえしている自分のことを話すのが、だんだんと恥ずかしくなっていた。
「わたしの話はもういいですよ。響子さんは最近、どんな感じですか?」
たまらず、響子さんが次の質問を口にする前に話題を変えた。
「わたし? 仕事は相変わらずだよ。変わったことといえば、1年くらい前から写真を撮り始めたことかな」
「写真? それでインスタを?」
「そうそう。自分を表現できるようなことを、何かやってみたいなーと思うようになってね。子どものころから写真集を見るのが好きだったんだ。わたしもあんな写真を撮れたらなと思ったんだ」
「へー!」
意外だった。仕事が趣味、みたいな響子さんに写真の趣味ができるなんて。
「インスタに写真投稿し始めたらさ、写真好きな人たちと繋がってね。この間はオフ会で、撮影旅行に行ってきたんだよ」
そう言うと、響子さんはバッグの中から一眼レフのカメラを取り出し、旅行の写真を見せてくれた。その写真は、わたしをまた驚かせた。そこに写っていたのは、以前の響子さんだったら親しくならなかったであろうアーティストタイプの女性たちだったからだ。やっぱり、心境の変化が何かあったのかもしれない。
「あの……。響子さん、だいぶ雰囲気変わりました、よね?」
失礼にあたらないように、響子さんの様子をうかがいながらおそるおそる聞くと、目をくりっと見開いて、響子さんは嬉しそうに答えた。
「そう? 変わった? 実はね、ある先生と出会ってね……」
響子さんが、自分の人生を変えてくれた先生と出会ったこと、その先生は精神科医として大きな病院に勤めていたけれど、今は医者を引退して人生にモヤモヤを抱えている人たちの相談に乗っていること、先生のところでこれまでの人生を振り返り、窮屈さから解放されて新しい自分になれたことなどを教えてくれた。わたしはその話を、「へー」とか「そうなんですか」と相づちを打ちながら、響子さんがこんなに変わるきっかけを与えたその先生に、少しばかり興味をもった。
「再会記念に写真撮ろうよ!」
帰り際、響子さんに誘われて、ふたり肩を並べて写真を撮った。
「楽しかった! マリコ、近いうちにまたランチしようね」
元気に手を振り上げて、腕を大きく振りながらバイバイした響子さんは、短い髪をふわふわと躍らせて、人ごみの中に消えていった。そしてわたしもまた、楽しい時間の余韻を胸に残しながら、家路についた。
翌日、仕事から帰宅し、ヒヤリと冷たくなった洗濯物をあわてて取りこんでいると、インスタの通知が鳴った。響子さんからのDMだ。洗濯物を畳み終えたらチェックしようとスマホをテーブルの上に戻しかけたそのとき、今度は母からLINEが届いた。すぐに内容をチェックし返事をし、再び洗濯物を取りこみにせわしなくベランダへ戻った。
夜の家事がひと段落したところで、やっと響子さんからのDMを確認すると、昨日、別れ際に撮った響子さんとのツーショットの写真が添付されていた。
写真をひと目見て、がく然とする。わたし、こんな顔をして写っていたのか。5つ上の響子さんの方が、わたしよりずっと若く見える。いつから、わたしはこんなに老け込んでしまったのだろう。
心の中のざわざわを吐き出すように、はっと短くため息をつく。知っている。これは今に始まったことじゃない。本当は気づいていたんだ、もうだいぶ前から。ここから出たいよと、鳥かごの中で羽をバタつかせているわたしが確かに存在することに。
わたしも、響子さんみたいに変われるのかな。再び響子さんとツーショット写真を眺めていたら、ふとそんなことが頭をよぎった。これは何かのタイミングなのかもしれない。少し迷ったが、思い切って響子さんに聞いてみることにした、あの先生のことを。
写真、ありがとうございます!
実は、あの日から、響子さんが変わるきっかけになった
先生のことが、少し気になっているんです。
エイ!と送信ボタンをタップする。すぐに返信があった。
会ってみるといいよ!
きっとマリコも面白い体験ができると思うよ。
というメッセージとともに、先生のサロンの住所と連絡先が記されていた。
響子さんとの再会を境に、停滞していたわたしの日常が少しずつ動き始めたことに、このときのわたしはまだ気づいていなかった。
1章 モヤモヤの正体
あれ? この住所……。
お客様の事務所への訪問を終え、駅への道を歩いていたわたしは、たまたま目に入った電柱の住所プレートを見て足を止めた。
鞄からスマホを取りだすと、1週間ほど前に響子さんとやり取りをしたインスタのDMを開き、住所プレートに書かれた町名をもう一度確認する。やっぱり。なんという偶然だろう。今、わたしは例の先生のサロンの近所にいるようだ。
どうしよう。どんな雰囲気のところか、ちょっと外からだけでも見に行ってみようか。この機会を逃したら、もう二度と先生の所に行く勇気は出ないかもしれない。それに今日は、タイミングよく息子のお迎えは夫の担当の日だ。「今日は帰宅が遅くなっても問題ないよね」誰にともなく言ってみる。
進路を変更すると、わたしは先生のサロンへ向かって歩き始めた。実のところ、響子さんから先生の連絡先を教えてもらったものの、今この瞬間まで「先生に会う」と心を決めることができずにいた。それがこんな風に、先生のところに行くきっかけができるなんて。
住宅街を10分ほど歩いただろうか。目の前に伸びる坂の途中に、明らかに周囲の建物とは異質な外装の家が目に飛び込んできた。もしかして、と住所を確認すると、そこは間違いなく先生のサロンだった。門扉には、「salon de U」と上品な書体で書かれたウッドプレートがかけられている。
門扉の前で中の様子を伺っていると、どこからか歌声が聞こえてくる。聞いたことのある旋律。高校の合唱部で歌ったことがある。これは、アヴェ・マリアだ。耳を澄ませると、その歌声はサロンから聞こえてくるようだった。透明感がある、すーっと伸びた歌声が心に染みわたっていく。なんだか懐かしいような、切ないような、胸の奥がキュッとなる、形容しがたい感情が湧いてくる。
聞き入っていると突然歌声がやみ、ぎいっと玄関のドアが開いた。
「なにか、ご用事?」
ドアから顔をのぞかせた女性は、そう言うと、わたしに微笑みかけた。外から様子を伺うだけのつもりでいたわたしは、とっさのことに驚いてしまい、「響子さんの紹介で」と言うのが精一杯だった。
「あらー! いらしたのね。お待ちしていたのよ」
女性は満開の笑顔で、わたしを手招きをした。
「おじゃまします」
小さく会釈をし、小走りで玄関に向かった。歌っていたのは、どうやらこの女性のようだけれど、この人が響子さんの“先生”なんだろうか。
サロンの中に足を踏み入れた瞬間、息をのんだ。丸みを帯びた真っ白な壁がアーチを描き、まるで洞窟みたい。間接照明の柔らかな光と相まって、不思議な安心感に包まれる。
「こちらのお部屋にどうぞ」と、入ってすぐ右手の部屋に通されたが、3歩ほど入ったところで立ち止まり、サロンの様子を探るようにゆっくりと見渡した。この女性以外に人がいない。やっぱり、彼女が先生なのだろう。
サロンの中には、アンティークと思われる上品で艶のある丸テーブルと椅子が2脚。茶色のアップライトのピアノのそばには、バイオリンケースが立てかけられている。先ほどの歌声といい、先生は音楽をたしなんでいる人なのかもしれない。
「どうぞ。こちらの椅子におかけになって」
先生は、ティーポットとカップが載ったトレーを持ちながら、わたしに腰かけるよう促した。
コポコポコポ。静かな室内で、紅茶を注ぐ音が静かに響く。
わたしは椅子に腰かけながら、所在なさげにティーポットから紅茶が流れ落ちるのをじっと眺めていた。
「あなたは、今の自分がお好き?」
紅茶をいれ終わると、先生は唐突に、けれどとても自然にわたしに聞いた。
今の自分が好きか? そんなことを考えたこともなかった。先生の質問にすぐに答えが出てこない。わたしは、今の自分が好きなんだろうか。嫌いではない、とは思う。でも、好きだと断言できない自分がいる。今の自分が好きかどうかはよくわからない。それがわたしの正直な答えだった。
「嫌い、ではないです」
「嫌いではない。でも、好きでもない?」
「そう、ですね」
先生は上品だけど無邪気な笑顔で
「自分のことを好きってハッキリ言える人は、あんまりいないのよ」と言った。
そして、わたしのことをまっすぐ見ると、こう続けた。
「ね。あなたが今の自分をどんな風に感じているか、話してみる?」と。
世間話をするために先生に会いに来たわけではない。せっかくここまで来たのだから、自分のことを話してみようと思った。
「今の自分が好きかはわからないけれど、今の生活には満足しています」
「そう。どんなところに満足しているの?」
「好きな人と結婚して、息子も生まれて。今7歳なんですけど、すごく可愛いです。仕事は子育てとも両立しやすいし、ほどほどにやりがいもあります。夫は、よその旦那さんに比べたら子育ても家事もやってくれる方です。だから、すごい不満があるわけじゃないんです。でも……」
わたしは次の言葉を口にするのを少しためらった。このことを口にしたら、認めることになってしまう。今まで目をつぶって見ないようにしてきた自分のことを。
でも、ここで先に進まなければ、このままかもしれない。わたしはなぜ先生と会ってみたいと思ったのか。自分が変われるなら、変わりたいと思ったからではないか。紅茶を一口、コクリと飲み込むと、迷いをふりはらって話を続けた。
「でも、たまに思うんです。わたし、鳥かごの中に閉じ込められた小鳥みたいだなって。羽をぐうっと広げて、ここから飛び立ちたいような、そんな気持ちになるんです」
「それはどんなときに思うの? 思い出せる?」
「誰かに対して、モヤモヤするときです」
「どんな人にモヤモヤするの?」
「好きなことを楽しんでいる人です。好きなことをするって素敵なことだと思うので、応援したいと思っています。でも、そう思っている自分とは別に、手放しで喜べない自分もいて……」
先生は、うんうんとうなずきながら、わたしの話に耳を傾けている。
「それとときどき、急に何もやる気が起きなくなって、家事も仕事も子どもの世話も、何もかも投げ出したくなることもあります。そんなとき、自分はどうしちゃったんだろう? って思うんです。忙しすぎるのか、もしかして、鬱の一歩手前だったらどうしようと不安になることもあります」
そこまで話を聞くと、先生はわたしに聞いた。
「あなた、今おいくつ?」
「今年、38歳になります」
「そうよね。あなたと同じ年ごろの人は、多かれ少なかれ同じようなことを感じているはずよ」
先生は、やっぱりという顔をして話を続けた。
「体って年齢とともに成長して、子孫を残せるように成熟していくでしょ。それと同じように、精神も成熟するの。精神の成熟は、体の成熟よりも少し遅くて、ほとんどの人が40歳前後から始まるのよ」
「精神の成熟? はじめて聞きました」
「そうね、あまり一般的には語られていないことかもしれないわね。ライフサイクル的にね、40歳って肉体の衰えが始まる年齢なんだけど、逆に精神はここから成熟し始めて、“自分”というものができあがっていく。つまり、40歳前後からが、人間の本番って言ってもいいかもしれないわね。体が成熟してくると、性欲が高まって子どもを作るでしょ。それと同じように、精神も成熟すると、自分から何かを生み出したい、自分を表現して生きたいという欲求が自然と生まれるものなの」
「へー、そうなんですね」
「あなたが今の自分に悶々としたり、モヤモヤしたものを感じているとしたら、『自分から、何かを生み出したいのに生み出せない』そんな欲求不満状態なのかもしれないわね」
「自分から何かを生み出したい……。たしかに、自分はもっと何かできそうだと心のどこかで感じています。でもそれができないていないから、モヤモヤするのかもしれません。好きなことをして羽ばたいているような人を見ると、自分が鳥かごの中にいるって思い知らされるのかも」
正体不明だったモヤモヤがなんなのか、その正体を知って、まるで喉のつっかえが取れたような気持ちになった。
先生はそんなわたしの様子を見ながら、うん、うんと笑顔でうなずき、話を続けた。
「モヤモヤってね、欲求のサインなのよ。あなたの精神が成熟してきたからこそ、そのモヤモヤを感じられるようになったの。だから、いい兆候よ」
「そうなんですか? モヤモヤしているのって、あまり良くない状態なのかと思っていました」
「違う、違う。もっとできる、大空を飛べるっていういい兆しなんだから。モヤモヤを感じられるということは、これまでカチカチに凝り固まっていた精神がゆるんで変化しやすい状態になっているのよ。このタイミングを逃したら、またモヤモヤを感じられなくなって、次、何年後になるかわからないんだから。精神が成熟してモヤモヤを抜け出せたら、どんどん自分から何かを生み出せるようになるわよ。響子さんの写真みたいにね」
そう言うと、先生は壁に飾られた一枚の写真を指差した。
「これ、響子さんの?」
「そう、いい写真でしょ」
「響子さんの写真は、精神が成熟して生み出されたものなんですね」
先生は、ゆっくりと、そして力強くうなずいた。
「あなたも何かを生み出せるようになったら、きっとなんの迷いもなく『自分を好き』って言えるようになるはずよ。もし、モヤモヤの向こうに飛び立ってみたかったら、またおしゃべりにいらっしゃい」
そう言うと先生は「次に来るときまでに、宿題を出しておくわね」と、一枚の紙をわたしに手渡した。
そこには、ワークと書かれていた。
【ワーク1】 ・日常生活の中の人間関係で「モヤモヤする」のはどんなときですか? ・苦手な人はどんな人ですか? ・または、いつも精神的に疲れてしまう出来事を頭に浮かべて書いてみましょう。 |
ー解説ー さあ、マリコの精神の成熟への歩みが始まりました! 何年も、なんとなくモヤモヤしながらつまらない日々を過ごしていたマリコでしたが、自分ではそのことに気づいていませんでした。ところが、憧れの先輩、響子さんの変化を知ったことで、気づいてしまいます。自分がイキイキしていないことに。 響子さんの楽しそうな毎日を見て、「もしかしたら自分も変われるかも」そんな好奇心がマリコの中に湧いてきます。 響子さんの変身のきっかけとなった元精神科医の先生に会いに行くのに、マリコは葛藤がありましたよね。自分をより良い未来へ連れていくための精神内界の旅に出発するか、同じところにとどまるか。精神内界の視点で見ると、マリコに起きた「葛藤」は変化のためには大事な反応だと言えます。自分にとって、大切な決断でなければ葛藤という反応すら起きないからです。 先生のサロンを訪れ、自分のモヤモヤが、実は自分だけの特別なものではなく、年齢的に当たり前であることを知ったマリコ。この「モヤモヤの正体を知る」ことは、精神の変容において大事な体験でした。マリコも、その瞬間、固まっていた何かが動き始めたと思いませんか? 本音を全面的に受け止めてくれる先生に安心感を覚え、マリコは自分のモヤモヤと向き合う勇気が湧いてきたようです。 「自分も解毒したら変われるかもしれない」 そんな未来への小さな希望が、この日、マリコの胸の内に小さく灯ったのです。 |
2章 鳥かごの中のわたし
スース―。わたしの隣で、息子が気持ちよさそうに寝息を立てている。息子の向こうでは、すっかり夢の中の夫が、とき折、いびきをかいていた。息子の寝息が規則正しく繰り返されるのを確認すると、わたしはそっと布団を抜け出し、リビングへ向かった。
いつもの夜なら、疲れて息子と一緒に寝落ちてしまう。でも、今夜に限っては違っていた。夕方に起きた出来事を、気づくとぐるぐると考えてしまい、頭が冴えて寝付くタイミングを逃してしまったのだ。
さっきまで賑やかだったリビングは、今は時計の音だけが響いている。鞄から先生に渡されたメモを取り出すと、ダイニングチェアに腰かけた。夜の誰もいないリビングにひとりなんて、いつぶりだろう。もしかしたら子どもが生まれてから、一度もこんな時間を過ごすことはなかったかもしれない。
先生から受け取ったワークにはこんなことが書かれていた。
【ワーク1】 ・日常生活の中の人間関係で「モヤモヤする」のはどんなときですか? ・苦手な人はどんな人ですか? ・または、いつも精神的に疲れてしまう出来事を頭に浮かべて書いてみましょう。 |
このワークをやったら、明るいエネルギーに満ちた日々を過ごせるようになるのだろうか、響子さんのように。そうなれるのなら、わたしもなってみたい。この先にある未来を見てみたい。その小さな灯は、静かに心を震わせた。
一つ目の質問は、日常生活の中の人間関係で「モヤモヤする」のはどんなときですか? とある。ここ最近のモヤモヤしたことを思い浮かべてみる。ああ、そういえば、職場でこんなことがあったなと思い出した。
<人間関係でモヤモヤすること> 雑談の中で話したわたしのアイディアをもとに、企画書を作る同僚がいる。会議の場でちゃんと意見を言えない自分が悪いとはわかっているけれど、もともとは自分のアイディアなのに、それが同僚のアイディアみたいに使われることにモヤモヤしてしまう。 |
2つ目の質問は、苦手な人に関してだ。まず、苦手な人の名前となぜ苦手なのか、その理由を書き出してみることにした。
PTAの役員で一緒だったあの人、苦手だったな。趣味でバンドをやっているちょっと個性的な人。なんだかいつもあの人のペースに巻き込まれて、同じチームになったとき疲れたな。
次から次と苦手な人の名前が浮かんでくる。「この人、嫌い!」と強く感じる人はいないけれど、苦手だなと思う人が結構いる事実に驚いた。
ひと通り書き出したところで、苦手な人たちの名前を眺めていると、ある共通点に気がついた。この人たちはみんな、自由な人なのかもしれない。
<苦手な人> 自由奔放な人 |
最後の質問、いつも精神的に疲れてしまう出来事について考えてみる。いつも、ということは、よく起きている出来事ということだろう。うーんと考えて、そういえばこれまでに何度も同じようなことがあったなと思い出した。
<精神的に疲れる出来事> 週末、夫と子どもがでかけてくれて一人の時間があったのに、テレビを見たり、スマホでマンガを読んで一日が終わってしまった。のんびりできて良かったといえば良かったけれど、「もっとやりたいことがあったはずなのに、何もできなかった」と気持ちが疲れてしまうことがよくある。 |
3つの回答を書き終えると、わたしは手帳を開き、次に先生のサロンを訪問できそうな日を検討した。
この答えから、いったい自分の何がわかるんだろう。何が変わるんだろうか。先生とまた会うのが、少し楽しみになっていた。
その日サロンを訪れると、先生は前回と同じように紅茶を淹れてくれた。
ティーカップをわたしの目の前にコトリと静かに置き「宿題は、やってみた?」と暖かい笑みを浮かべた。
「これでいいかわからないんですけど、やってみました」
ワークの紙を先生の前にすっと差し出すと、先生は視線を落とし、わたしの回答に目を通し始めた。その瞬間に眼差しがするどくなる。ふむふむといった様子でひと通り確認し、再び視線をわたしに戻すと、先生は聞いた。
「ここに書かれていることについて、いくつか質問してもいい?」
「はい、大丈夫です」
「この同僚は男性? 女性?」
「女性です」
「なるほど、女性ね。あなたはなんで、会議で自分のアイディアを発表しなかったの?」
先生の問いかけに、本当、そうなんですよね、と思う。会議で発言したいことがあっても、言えないことが多い。言おう、言おうと思っても、なかなか声をあげられない。タイミングを伺っているうちに、会議が終わってしまうのだ。なぜわたしは、いつもそうなんだろう。そんな風に考えていると、ある言葉が浮かんできた。
「怖いのかもしれません」
「会議で発言するのが、なぜ怖いの? あなたは、何を恐れてるんだと思う?」
自分が何かを恐れているなんて、思いもしなかった。
「そんなこと、考えたことなかったです」
「そう。でも、そのうちその理由がわかるわよ」
何か含みをもった笑みを浮かべると、先生は話を続けた。
「次、苦手な人について聞いてもいいかしら?」
「はい、お願いします」
「自由奔放な人って、具体的にはどういう人?」
「PTAで一緒に役員をしていた人なんです。ちょっと個性的で、発言や行動が自由な人です。わたしは彼女のペースに巻き込まれて大変だと感じることが多くて」
「みんなも、その彼女の自由奔放さに困っていたの?」
「いえ、他の人はあまり気にしていないというか、逆に彼女のことが好きな人が多かったです」
「そうなの。みんなに好かれてる人なのね。あなただけが、なぜ疲れるのかしらね」
たしかに、言われてみればそうだ。振り回されると感じていたのは、わたしだけだったのかもしれない。なんで、わたしだけが彼女を苦手だと感じてしまったのだろう。
「なんで、わたしだけが苦手なのか。考えたことがなかったので、今はわかりません」
「彼女以外に、ほかにもいたかしら、こういう人?」
そう。わたしはずっと前から、彼女と似たようなタイプの人が苦手だった。高校の同級生、バイト先の先輩、大学のサークルにいたあの子……。
「ほかにも、何人もいます」
先生は腕組みをして、うんうんとうなずいては、いくつかの質問を続けた。
「もしかしたら、その人たち、みんな目立っていなかった?」
先生の言葉に、はっとする。確かにみんな目立っていた。目立っていたし、グループの中で人気のある子だった。
「言われてみれば、目立っていましたね」
「逆に自分が目立つことはどう思う?」
この問いの答えは、わたしの中で迷いがなかった。
「目立つことは、苦手です」
子どものころからそうだった。学芸会で主役に立候補する子たちのことを「すごい」と思っていたし、中学の合唱部で部長に推薦されたときも必死で断った。注目を浴びるようなことは、できるだけ避けてきたのだから。
「目立つと、どんな気持ちになるの?」
「どんな気持ち……。会議で発言できないのと同じです。理由はわからないけれど、怖いというか、不安になると思います」
「じゃあ、たとえば大勢のなかで自分だけ違うことをするのはどう?」
「それも苦手です。人から注目されることは、たいがい苦手です」
「なるほど。ということは、あなたは『人と違うことをしたり、目立ってはいけない』という考え方を強く持っているのかもしれないわね」
目立ってはいけない。自分ではあまり気にしたことはなかったけれど、先生に指摘されて、確かにそういうことろがあるかもしれない、とあらためて自分のことを認識した。
「そうですね。そういう考えを持っているのかもしれません」
「その強い考えが、前回話した欲求不満と関係しているのよ」
思いがけない話の展開に、わたしは一瞬きょとんとした。
「欲求不満と? 自分を表現したいとか、何かを生み出したいという欲求不満のことですよね?」
「そう、その欲求不満。今のあなたが欲求を叶えられない理由はね、あなたの中に『目立つことは恥ずかしい』という考えを生み出した毒が沈殿しているからなの」
先生が「毒」という言葉を少し強めに言ったので、わたしはドキっとする。
「え……、毒?」
その強烈な言葉の響きに眉間にしわを寄せ、思わず聞き返した。
「そう、毒。毒にもいろいろあるのよ。でも、だいたい親からの毒ね。わたしは“愛毒”と名づけたんだけれど」
先生はまるでなんでもないことのように、さらっと毒という言葉を繰り返した。
親からの毒と聞いて連想したのは、「毒親」だ。先生はわたしの親のことを毒親だと言いたいのだろうか。だとすると、それはまったく見当違いな話だった。なぜなら、わたしは今でも父と母と仲が良いし、毒親にはまったく当てはまらない良い両親なのだから。
「先生、わたしの両親は、毒親と言われるようなところは全然ないですよ」
すると、先生は大きく首を横に振った。
「違う、違う。わたしが言ったのは、毒親ではなくて愛情の愛に毒と書いて「あい、どく」なの。毒親は、目に見える形で子どもにとって「毒」となる振る舞いをする親のことでしょ。愛毒はそれとはまったく別。毒親に育てられた子どもは、少数派だけれど、親の愛毒に毒されていない人は、ほとんどいないの。どんなに素晴らしい両親で、親子関係に何の問題がなくてもね」
「愛毒? それは、どういうことなんですか?」
「たとえば、そうね」
先生は、物語を語るように話し始めた。
「ある一人の花柄が大好きな女の子がいました。でも、彼女はなぜか、一度も花柄の服を着たことがありませんでした。彼女がとても小さなころに、お母さんに花柄の服をおねだりしたら、派手な服は目立つから、恥ずかしいわよ、と言われたからです。それ以来、花柄の服は彼女にとって「恥ずかしい服」となりました。でも、大人になって友達に勧められて、はじめて花柄の服を着てみました。すると自分でも驚くほど、すごく似合っていたんです。花柄の服は、ちっとも恥ずかしい服ではなかったんです」
先生がなぜこの話をわたしに聞かせたのだろう。お母さんに言われて、花柄の服は恥ずかしいと思っていたけれど、実際は恥ずかしいものではなく、自分にとても似合う服だった……? それが、愛毒??
「ね、彼女のお母さんが、なんで花柄の服は恥ずかしいって言ったかわかる?」
「いえ、わかりません」
「花柄の服を着ることは、もちろん恥ずかしいことではないでしょ。だって、花柄の服着ている人なんて、たくさんいるわよね。でも、彼女のお母さんにとっては、花柄の服は派手で目立つ服だった。そして、目立つことは、周りの人にやっかまれたり、文句を言われたりするから、良くない、恥ずかしいことだったの。お母さんは、女の子が目立つことで嫌な思いをしないように、そう言ったのよね」
「お母さんが、女の子が目立たないように、そう言った……」
「それが、愛毒なのよ」
「それが、愛毒……?」
「親の未熟な精神から生まれた“考え方”が愛毒。精神が未熟だと、自分を守るためだったり、自分の都合の良いように、偏った考え方で物ごとを判断してしまうの。もし、このお母さんの精神が成熟していたら、花柄の服は派手で目立つと決めつけなかっただろうし、目立つと嫌な思いをされる、なんて考えなかったはずよ。女の子に花柄がすごく似合うことに気づいて、小さいころから花柄の服を着せてあげていたでしょうね。そうすれば、彼女も、花柄の服を大人になるまでタブー視することはなかった」
「愛毒というのは、親の偏った考え方のことですか?」
「そうね。未熟な精神から生まれる考え方は、子どもにとっては、『それをすると、なんか怖い』という思い込みを作ったり、考えに縛られて厳しい状況に追い込んだり、理不尽なことを与えてしまう。だから子どもにとっては“毒”になってしまうのよね」
「ということは、親の精神が未熟ではない場合は、子どもに愛毒はないということなんでしょうか?」
「ご両親が、お釈迦様とか精神道を極めた聖人でもない限り、どんな親でも未熟な部分は必ずあるから、愛毒がない人はすごく稀だと思う。だから、あなたも、もちろんわたしだって、子どものころから知らない間に愛毒を受け取ってきた。そうやって、みんな成長していくのよ」
「毒親っていうと特別ダメな親というイメージですけど、毒親とは違って愛毒は、どんな親でも子どもに与えてしまっているということですよね。わたしだけじゃなくて、みんな、親からの愛毒に多かれ少なかれ、毒されている?」
「そうそう! 愛毒のこと、わかってきたみたいね」
愛毒がなんなのか、そして自分の中にも愛毒というものが沈殿しているらしいことも頭では理解ができてきた。
一方ですっきりと理解できないところもある。親には親なりの考えがあって子育てをしてくれた。そして、それはわたしにとって”毒”と思えるような悪いことはなかったように思えるからだ。良かったと思えていることも、実は“毒”だったということなんだろうか。
「親の考えは、全部わたしにとって毒だったということでしょうか?」
「親の考え方のすべてが、愛毒とは限らないわよ。あなたにとって受け入れられるもの、必要だったものも必ずある。逆に子どもが『お母さんのその考え方には従えない』って、違和感や嫌悪感を感じるものもある。だって、あなたとご両親は家族であっても、ひとり一人、別の人格をもった人間だもの。そんな、子どもにとって受け入れがたい考え方を、わたしは愛毒と言っているの」
「子どもは受け入れがたいと感じながら、どうして愛毒を受け取ってしまうんでしょうか?」
「まだ自我が未熟な子どもは、受け入れがたいと気づくことができないからよ。親から注がれるものは、すべて自分への愛だと思っているし、親がわたしに間違っていることを伝えるはずがないって信じているの。だから、愛毒を無防備に受け取ってしまうのよね」
「それが毒だと気づかずに、すべて愛だと思って受け取っているから、自分では何が愛で何が愛毒なのかの選別が難しいんですね」
「きっとあなたは、ご両親から愛をたくさん受け取ってきたのね。愛をたくさん受け取ってきた人は、大人になっても愛毒に気づきにくくなるものよ」
「そうなんですか?」
「愛を感じているからこそ、否定や排除がしにくくなるじゃない。これが、愛毒がやっかいな点でもあるんだけどね」
愛毒についての理解が深まるほど、今のわたしにいったいどれほどの愛毒が沈殿していて、その影響はどれほどのものなのか、響子さんみたいになれる日はいつ来るのかと、期待していた日々は果てしなく遠い未来のように思えた。
「じゃあわたしたちは、生まれてから死ぬまで、それが愛毒だと気づくことなく、ずっと毒に侵されながら生きていかなければならないんですか?」
途方にくれたわたしに、違う違うと、先生はオーバー気味に手を振り、力強く言った。
「大丈夫! 愛毒は解毒できるから。わたしたちは、愛毒に対して自浄する力をちゃーんと持っているんだから。あなたも、気づかないうちに愛毒を解毒しながら、今日まで生きてきたのよ」
「え? 自分ですでに解毒した愛毒もあるんですか?」
先生の予想外の言葉に驚いた。いつ、どうやって愛毒を解毒してきたのだろう。まったく思い当たる節がなかったからだ。
「そうそう。みんな、成長するにつれて、徐々に自我が芽生え「自分」というものができていくの。自我が芽生えると、愛毒を違和感や嫌悪感として察知できるようになっていくのよね。同時に、親以外の人の考え方や知識に触れたり、いろんな体験をするようになるでしょ。そうすると、成長するなかで得た知識や体験を参考にしながら、わたしに合わない、必要ないって判断できるようになる。そうやって、愛毒に影響されずに、自分なりの行動ができるようになっていく状態が解毒された状態ね。みんな自力で解毒を繰り返しながら、大人になっていくのよね」
「先生がおっしゃっていた『人と違うことはダメ』とか『目立ってはいけない』というわたしの考え方は、自分で解毒しきれなかった愛毒ということですか?」
「そう! あなた、愛毒のことわかってきたじゃない。」
先生は目をくりっと見開いて、嬉しそうに言った。
親の愛が毒となる、愛毒か。わたしはそこで不安になった。わたしも息子を愛毒で抑えているのだろうか。わたしがこれまで息子のためを思ってやってきたことは、息子にとって毒だったのだろうか。
「先生…。わたしも息子に愛毒を与えているのでしょうか?」
「そうね。でも、自分の子どもに愛毒を与えてしまうことを、そんなに怖がらなくて大丈夫。子育てで愛毒を与えてしまうのは、当たり前のことだから」
「でも、今のわたしの振る舞いが、大人になった子どもを縛ってしまうなら、気をつけられることは、気をつけたいです」
「大丈夫。愛毒のことは、気にせずに接すればいいのよ。むしろ、お子さんに愛毒を与えることを恐れて、構えたり緊張すると、それが伝わるから。今あなたが取り組むべきは、子どもに愛毒を与えないことではなく、自分の解毒。あなたが愛毒を解毒すれば、精神が成熟していく。そうすれば、おのずと子どもが自力で解毒できないほどの愛毒を与えなくなるわよ。
あなたには、自力で解毒しきれなかった愛毒が残っている。そして、30歳を越えた今でも、あなた自身を厳しく縛っているのね。わたし思うの。愛毒に侵されている状態って、精神的には親の作った鳥かごに閉じ込められているようなものだって。
あなたは大人になって、親の許可がなくても自由になんでもできるようになったでしょ。でも、愛毒が残っている限り精神的には縛られていて、実は行動も制限されている状態なの。まるで親に監視されているみたいにね。親のことが大好きな人ほど、大人になるまでになかなか解毒しきれなくて、愛毒が残っているものよ。でもね、あなたは今日、自分が愛毒におかされていることを知った。だから、残っている愛毒も必ず解毒できる。すべての愛毒が解毒されたら、やっと精神が自由になって成熟が進むから、欲求不満も解消されて自由に羽ばたいていけるわよ」
自由にはばたいていける。それは、ずっとわたしが望んできたことだ。ここから飛び立ちたい。胸の奥にこびりついて離れなかったその思いを、もう見て見ぬふりしなくていいんだ。あきらめなくていいんだ。
先生が次の言葉を口にしようとした瞬間、ボーンと掛け時計の音が静かに響いた。
「続きは次回にしましょうか。はじめて聞く話ばかりで、頭が疲れちゃうわよね」
また来週、来ますと約束をし、わたしは先生のサロンを後にした。
駅へと向かう道中で、先ほど聞いたばかりの愛毒の話を思い出していた。
先生の言っていることは、なんとなくわかるような気がする。わたしには「目立ってはいけない」という愛毒とかいうものがある。親も意図していなかったとはいえ、わたしは愛毒を強要されてきた。
と、そこまで考えて、すっと受け入れられない違和感を胸の奥に感じた。
でも、「目立つことが苦手」な人なんて、わたしだけじゃないよね?
そう心の中で反論したとき、わたしだけじゃないという言葉に、何か引っかかるものがあった。わたしだけじゃない……。
「あなただけが、なんで疲れるのかしらね」
さっき聞いたばかりの先生の言葉が思い出された。そうだ、彼女のことが苦手だったのは、わたしだけだった。
わたしは、「目立つこと」に対して、ネガティブな感情を抱くことは、世の中的に当たり前のことだと思っていたけれど、本当にそうなんだろうか?
自分の中に本当に愛毒が沈殿しているのかもしれない、と愛毒の存在を認め始めた瞬間だった。
ー解説ー マリコは、「モヤモヤを抜け出した未来を見てみたい」と、ワークを通して自分と向き合うことを始めましたね。 このワークを通して、これまであまり気に留めていなかった自分の中にある不快感が、どんどん浮き上がってきました。不快感を実感していくことは、解毒の最初のプロセスになります。不快感を押し込めて気づかないふりをし続けると、いつまでも解毒が始まりません。なぜなら、不快感の根っこに愛毒が潜んでいるからです。 次に先生のもとへ訪れると、ワークの回答をもとに、マリコは不快感をどんどん掘り下げられていきました。先生は、マリコに愛毒の存在を気づかせようとしていたんです。 先生との対話を通して、「目立ってはいけない」という考え方に縛られていることに気づき始めたマリコ。そしてそれは、親から無意識に受け取ってきた愛毒によるものだと知りました。このとき、マリコは初めて長年感じていたモヤモヤの原因を意識できるようになったんです。 でも、「愛毒」という新しい考え方を、マリコはすんなり受け入れられませんでしたよね。両親に大切に育ててもらった自覚があり、親を否定したくなかったからです。 愛毒と毒親の大きな違いが、ここにもあります。毒親の言動は、周りの誰が見ても「毒」と認識できるハッキリとしたものですが、愛毒は親の未熟な精神から生まれた「考え方」のこと。だから、子ども自身はそれを当たり前のこととして受け入れています。まさか自分の親に「毒」となるようなものを与えられていたなんて、親のことが好きな子どもであれば、受け入れがたく感じるはずです。 でも「受け入れがたい」というのは、変化において大事なことなんです。「そうなんですね。わかりました」と簡単に受け入れられるようでは、本当の変化は起こりません。マリコのように拒否が生まれ、自分の精神内界に葛藤が生じるからこそ、その後、真の変容がもたらされるんです。 自分にとっての当たり前は、本当は当たり前ではないのかもしれない。 マリコは、とても大事なことに気がつきましたね。物事を判断する新しい視点を得ることができました。 さあ、このあとマリコはどうやって愛毒を認め、そして解毒が始まっていくのでしょうか? |
3章 わたしの精神内界で起きていること
愛毒の存在を知ってから、わたしは自分がこれまで当たり前にやっていたことが、気になり始めた。これは、わたしだけの当たり前なんだろうか? それともみんなも同じような感覚を持っているんだろうか? と。
先日は、こんなことがあった。後輩を連れて、取引先にあいさつに行ったときのことだ。後輩が、お客様に失礼な態度を取ったので、メールで謝罪を入れたのだが、「どのときのことですか?」と、あちらはなんとも思っていなくて、拍子抜けをしたのだ。わたしからしたら、完全にアウトだったのに。
そっか、アウトじゃないんだ。メールの返信を見ながら、ひとりごとのようにつぶやき、これもわたしだけの当たり前だったのかもしれない、と思った。
こんな風に日常の中で、ふいにわたしだけの当たり前と対面することが何度もあって、そのたびに、わたしの中に確かに愛毒が沈殿しているのかもしれないという思いが強くなっていった。
先生が言うように、愛毒はわたしの行動を縛っているのかもしれない。もし「目立つこと」に対して、なんの抵抗もなかったら? 学芸会で主役に立候補していたら? 合唱部の部長をやっていたら? と考えたりもしたが、無意味なことだと思ってやめた。人生において「もし?」なんて考え始めたらキリがない。愛毒を解毒したらどうなるのか、これからのことを考えよう。
少しずつ愛毒の存在を認めつつも、わたしには一つわからないことがあった。そもそも、その愛毒とわたしの今のモヤモヤとした欲求不満状態は、どう関係しているのだろう。わたしが週末に「もっとやりたいことがあったはずなのに、何もできなかった」という状態に頻繁になることには、「目立ってはいけない」という愛毒とは関係していないように思う。
次に先生に会ったら、愛毒と欲求不満がどう関係しているのかについて聞いてみよう。そう思った。
先生のサロンを訪れるのも、今日で3回目だ。今日は愛毒について先生に聞きたいことがいろいろある。
サロンに到着すると、今日はバイオリンの音色が聞こえてきた。演奏中にドアを開けるのはためらわれて、演奏が終わるまで門の前で聞かせてもらうことにした。先生の奏でる音楽は、なぜか心がほっとする。空を見上げると、小さな小鳥が一羽、ピーっと鳴いてどこかに飛んで行った。
「あら、いらしてたの」
ドアが開き、先生が中へと招き入れてくれた。
「さて、今日は前回の続きの話をしましょうか」
「先生、その前に、ひとつお聞きしたいことがあるんです」
「どんなこと?」
「あれから、自分の中に愛毒が確かにあるかもしれない、と思うようになったんです。でも、なぜ愛毒があると欲求不満になるんでしょうか。愛毒で精神的に縛られていると、なぜ何かを生み出せなくなるんでしょうか」
「あら、奇遇ね! ちょうど今日はその話をしようと思っていたのよ」
どこから話そうかしら、と先生は腕組をしてしばらく考えてから口を開いた。
「ちょっと難しい話になるかもしれないけれど……。自分を表現したい、何かを生み出したいという欲求がわいたら、何かしら“表現する”とか“生み出す“という行動をするわよね。そのためには、エネルギーが必要でしょ? だって、赤ちゃんを生むときだって、すごくエネルギーが必要じゃない? 精神的な何かを生み出すときは、精神エネルギーがたくさん必要なの」
「精神エネルギーっていうのは……?」
「精神エネルギーっていうのは、生きる活力の源ってイメージするとわかりやすいかな」
先生はいったん席を立ち、ピアノの横の小ぶりのチェストから紙とペンを取り出して、席に戻ってくると話を続けた。
「精神内界の話になるんだけどね」
そう言って先生は、紙にエス、自我、超自我と大きく書いて丸で囲むと、説明を始めた。
「フロイトって知ってる? これから説明することは、精神科医のフロイトが定義した概念なんだけど。わたしたちの精神は、“エス”、“自我”、“超自我”の3層構造になっていると考えられているの」
「自我は、前にも先生が説明してくださいましたね。エスと超自我ははじめて聞きました」
「そうよね、日常会話に出てくる言葉ではないわよね」
ふふふと先生は笑った。
「“エス”というのは、『~したい』っていう本能的に突きあがってくるような欲動のこと。たとえば、性欲や食欲、それから命を守るための衝動性とかね、そんな生きる為の欲動があるのがエス」
「わたしが、自分はもっと何かできそうだ、何かをしてみたいと思っているのは、このエスからの欲動ということでしょうか」
「そう! それがエスからの欲動ね。でもね、エスの欲動は、あなたの欲動のようにイキイキ生きていくためのポジティブなものだけじゃないの。ときには誰かを傷つけてやりたい、みたいな反道徳的な欲動もあるの。でも、誰かを傷つけることをしたらいけないじゃない?」
「そっか。生きていくためには、自分を守るために、ときに攻撃的になることも必要ということですね」
「攻撃的なエスの欲動を良心とか道徳的な考えから『ダメ!』と抑える役目が“超自我”。でも超自我は、必要以上にエスの欲動を抑え込みすぎちゃうところがあるの」
「超自我って、親みたいですね」
「そうなの! 愛毒は、超自我に沈殿しているのよね。つまり、愛毒があると、超自我が必要以上にあなたの行動を抑えてしまうのよ」
「とすると、自我はどんな役割をしているんでしょうか?」
「自我はね、 “エス”と“超自我”の間でバランスを取って、社会の中で幸せに生きていけるようにコントロールする役割があるの。本来は、自我によって道徳的なことを守りながらも、自分が本当にやりたいと思っていることを実現できるようしていくんだけれど、愛毒が超自我に沈殿していると、自我がうまくバランスを取れなくなってしまうのよ」
「それは、なぜなんですか?」
「愛毒があることで、“超自我”の押さえつけが過酷になっていくからなの。そうすると、エスの欲動が超自我の抑圧に耐えかねて暴走し始めるの。たとえば残虐性とか、反道徳的な欲動が膨らんだ状態になってしまうの」
「わたしの中に、自分はもっと何かできるんじゃないか、何かしたい、という欲動がある。でも、愛毒が超自我に沈殿しているから、自分で自分を何かしら抑圧している。その抑圧に耐えられなくて、残虐性のある欲動が暴走しそうになっている、ということですよね」
「そうそう! エスが暴走し始めると、“自我”は、エスの暴走を抑えるのに、すごいエネルギーが必要になるのよ」
「ああ、そのエネルギーが精神エネルギーですか?」
「そうなの! あなたは今、エスの暴走を抑えるのに、精神エネルギーがどんどん消耗しちゃっている状態なのよ。精神エネルギーは無限じゃないからね。自分を表現したい、そういう、自分がイキイキするための欲求に使えるエネルギーがほとんど残っていない状態になっているんだと思うの」
「でも……自分では、先生のおっしゃるような残虐性のある欲求は、ないように思うんですけど」
「たとえば、あなた、ご主人に対して、こんなことしたことない? イライラしているんだけれど、その原因を話さずに、察してよと不機嫌にふるまったり。お願いしたことを思い通りにやってもらえなくて、『もういい!自分でやるから』と突き放したり」
それはまさに、とき々夫にしてしまうことだった。
「無言でイライラをぶつけること、あります」
「それも、残虐性なのよ。わかりやすく暴力をふるうことだけが、残虐性じゃないの」
「そっか。わたしの自我も、エスの暴走を必死で抑えてくれてるんですね……」
「自我が抑えてくれなかったら、あなた、ご主人に殴りかかってるかもしれないわよ」
と先生は笑って言った。
「そうやって、あなたのなかの残虐性を抑えるのにエネルギーを消耗しているから、自分を表現したい! という欲求はあるのに叶えられない。それで、“モヤモヤ”しちゃうのよね」
先生の話を聞きながら、自分の中に小さな3人の自分がいて、知らぬ間に大変なやりとりをしていたのだなと思った。しかも自分の中で起きていることなのに、自分ではまったく気づいていなかったのだから、不思議な話だ。
複雑な精神の構造に関心しつつも、今のモヤモヤした状態は誰かのせいではなくて、すべて自分の中で起きている問題なんだということを理解した。先生は、そんなわたしの様子を見て、難しいことはさておき、と話を続けた。
「簡単に言うと、愛毒を解毒すると精神エネルギーを消耗せずに“自分を表現すること”に使えるようになるってこと。きっと、今あなたが感じているモヤモヤもスッとなくなって、自分がイキイキしているのを感じながら、毎日を過ごせるようになるわよ」
「響子さんみたいに…?」
彼女はあなたよりも、もっと愛毒まみれだったんだから、と言うと先生はふふふと笑った。
「じゃあ、もし愛毒を解毒してみたいと思ったら、またいらっしゃい。次ここに来るまでの宿題を出しておくわね」
先生はそう言うと、前回と同じようにワークが書かれた紙を一枚、手渡した。
ー解説ー マリコは、愛毒の存在を知ってから、これまでは気にも留めていなかった日常の些細なことに、違和感を感じるようになりました。 過去を振り返り、「もしも愛毒がなかったら?」とこれまでの自分の生き方に疑問を持つようにもなります。これは、マリコが新しい考え方で、物ごとを見られるようになった証拠です。 先生から精神エネルギーの仕組みの説明を聞くうちに、自分の中の残虐性を必死に抑えている自我の存在に気がつきます。自分で自分を追い詰めていること、愛毒によりエネルギーを消耗させていること。精神内界で起きていることを知り、自分のモヤモヤが起きている理由を論理的に理解していきます。それは、マリコの解毒において大事なことでした。 論理的に理解できたから、愛毒に侵されてる自分の状態を納得し、受け入れられたんです。 今の状態の原因がわかれば、どうすればこの状態から抜け出せるのか、その道筋も見えてきますよね。 だからこそマリコは、自分も響子さんみたいになれるかもしれないと、希望を感じることができたんです。 |
4章 解毒への期待
ガタン、ガタン、ゴトン。ガタン、ガタン、ゴトン。わたしは、家路につく電車に揺られ、吊革につかまりながら、窓に映るたくさんの乗客をぼんやりと眺めていた。
左隣には、白髪交じりの男性が立っている。50代くらいだろうか。上質な生地のスーツに、皮製のブックカバーがかかった文庫本を読んでいる。その姿からは品の良さが感じられる。わたしはふと、思った。この上品な男性も愛毒が沈殿しているのかな。それとも、もう解毒をし終えたのだろうか。
視線を下に落とすと、大きな紙袋を膝に抱えた40代くらいの女性と女子高生の親子が座っていた。一緒に買い物にでも出かけたのだろうか。女の子は母親に、学校で起きた面白かった出来事を興奮気味に話している。母親は娘の話をへ―! とかそうなんだー! と相づちを打ちながらニコニコして聞いている。
こんな仲がよさそうな親子でも、お母さんは娘に愛毒を与え、女の子はその毒に少しずつ侵されているのだろうか。お母さんは、わたしより少し上に見えるけれど、わたしと同じようにモヤモヤを抱えているのだろうか。
車内に掲示されたポスターを見ているふりをしながら、気づかれないように周りの人の様子を伺った。
あの人も、あの人も、あの人も。なんの問題も抱えていなさそうに見えるけれど、みんな何かしらの愛毒が沈殿しているのかな。
そういえば、響子さんはどんな愛毒があったんだろう。わたしは響子さんの愛毒の話を聞いてみたくなった。前回会ったときから1か月も経っていないのに迷惑かなと思いながらも、すぐに響子さんにDMを送った。
「最近、おいしいパスタのお店見つけたから」
響子さんおすすめのレストランに、約束の10分前に到着したわたしは、前回同様、メニューを眺めながら、何を食べようか決めあぐねていた。
「マリコ! お待たせ、ごめんね!」
弾ける笑顔で手を振り、わたしの前に現れた響子さんからは、今日もハツラツとした明るいエネルギーが伝わってくる。
「さて、今日は何を食べようかな」
そう言ってメニューを手に取ると「今日は、これにしてみよう!」と、あっという間に注文を決めてしまった。わたしもあわてて注文しようとしたが、たった3種類のランチメニューなのに、食べたいものがわからない。
ついに響子さんを待たせていることがいたたまれなくなり、「響子さんのおすすめ」を聞いた。
食事が運ばれてくるまでの間、すぐに先生の話を切り出すことができず、当たり障りのない世間話をしてタイミングをうかがっていた。
「響子さんのインスタ、あれから見てますよ」
「わ! 嬉しい、ありがとう!」
「響子さん、いつも楽しそうでうらやましいです」
「えー! そう? マリコは、毎日、楽しくないの?」
「いやー、楽しくないというわけじゃないんですけど」
胸がモヤっとし、声のトーンがわずかにさがる。
何かを察したかのように、響子さんは突然、先生の話題を切り出した。
「そういえば、先生のサロン行ってみたって?」
「あ、はい! その節は、ご紹介ありがとうございました」
わたしは、テーブルに頭をぶつけそうな程に、深々と頭をさげた。
「そっかそっか。で、どんな感じだった?」
「あの……。精神エネルギーが愛毒に奪われてるのかもって言われました」
人生を謳歌している響子さんを前にして、「愛毒に侵されている自分」に多少の決まり悪さを感じたが、そんな自分をごまかすように笑いながら言った。
「うんうん。それね、フツーなの、フツー。どのくらい愛毒に侵されてるかは人によって違うけど、多かれ少なかれ、みーんな、愛毒に侵されてるんだから」
わかるわかるというように、響子さんは少し大げさなくらい頭を上下に動かし、うなずいた。
「先生からも、そう聞きました。でも、わたし不思議なんです。響子さんは、わたしが一緒に働いていたときも、今とはちょっと違う感じでしたけど、すごくエネルギーにあふれているように見えていました。あの頃の響子さんは、今のわたしの縮こまった状態とは全然違いますよね。それでも、愛毒に精神エネルギーを奪われていたんですか?」
「そうだよね。わたしだって、あの頃、自分はすごいイキイキしてるー! って思ってたよ。でもね、あの頃、イキイキしてるって思ってやってたことって、実はすごく自分を疲れさせていたんだよね」
「え……! そんな風には全然見えませんでした」
「会社にいるときは、パワーがぶわーって出るんだけど、家に帰ると廃人みたいになってたんだよ。何もやる気が起きなくなっちゃってね。仕事がむちゃくちゃ忙しかったわけではないじゃない? だからちゃんと寝てたし、ご飯も食べてた。でも、夜ごはんに何を食べたいかがわからないくらい、なーんか疲れてたんだよね」
わたしは一瞬ドキっとした。何が食べたいかわからないのは、ついさっきの自分と同じだったからだ。
「何を食べたいかわからないのって、精神エネルギーが愛毒に奪われていることと関係あるのか……」
響子さんは、わたしのひとり言のようなつぶやきを聞き逃さなかった。
「そうだよ。先生から自分を表現したいっていう欲求の話は、もう聞いた?」
「はい、聞きました。自分を表現したい欲求があるのに、精神エネルギーが愛毒に侵されているから表現できないんだって。それで欲求不満のモヤモヤ状態なんだって指摘されました」
「『今日、わたしはこれを食べたい』と思ったものを食べる。それだって、自分を表現することの一つなんだよ。自分を表現するって、歌を歌うとか絵を描くとか、そういうことだけじゃないんだよね」
「たしかに、食べるって、本能的な欲動ですもんね」
「そう。だから、食べたいものがわからないってことは、欲動に気づけないか、湧いてすらこないほど精神エネルギーが消耗しているってことなんだよ。って、わたしも先生に言われたんだけどね」
そう言って、響子さんは茶目っ気たっぷりに笑った。
「響子さんの話を聞いていたら、やっぱりわたしの中にも愛毒が残っているんだなと納得できた気がします。親のすごい嫌なところが思い浮かばなくて、親からの愛毒に侵されていると言われても、たしかに! という納得感がなかったんですけど」
「そっかー。うちの親は毒親ではないけれど、わたし、親の機嫌を結構気にしていたところがあったから、そういうこともあるのかもなーって、あまり抵抗なく愛毒のことを受け入れられたんだよね。親子関係が良好だと愛毒と言われても、実感が少ないかもしれないね」
そうだったんですね、と答えながら、愛毒にピンとこなかった自分は、響子さんに比べたら愛毒の程度が低いのかもしれないなと思っていた。
「先生のサロンにまた行く予定はあるの?」
「宿題が出ているので、取り組んでみて、また近いうちに行く予定です」
「いいね! 先生のサロンに通い続るかはマリコの自由だけど、わたしは先生と出会って愛毒を解毒できたおかげで、すごくすごく人生が楽しくなったから」
「実は、この間久しぶりに響子さんに会ったとき、響子さんの印象がすごく変わったなって思っていたんです。なんていうか、前の響子さんは女性らしさとカッコよさの両方を持っていて、わたしの憧れでした。でも今の響子さんは、なんていうか、すごく力が抜けてて、自分らしさを楽しんでいるように見えて、素敵です。それも解毒の効果なんですか?」
「あの頃は、それが働く女性のあるべき姿だって思っていたから、そう振舞っていたんだと思う。解毒してそういう思い込みがなくなったかな。今の方が昔にくらべて、ストレスもあんまりないしね。自分では、すごく変わったって思うのは、やりたいことがどんどん出てきて、毎日が本当に楽しくなったことかな。ほらそれで、写真も始めたの」
「やっぱり、写真も、解毒がきっかけだったんですね」
「そうなの! でね、最近、すごく嬉しいことがあったんだ」
響子さんは、子どものように目をキラキラさせている。
「マリコも知っているデザイン事務所の佐々木さん、覚えてる? 佐々木さんに、わたしの写真をちょっと見せたことがあったんだよね。そうしたらすごくイイ! イイ! って褒めてくれてね」
「へー! それは、嬉しいですね!」
「それもすごい嬉しかったんだけど、佐々木さん、わたしがすごく大好きなフォトグラファーと親しくてさ。わたしの写真をその方に見せてくれたって言うの」
「ええ! すごいじゃないですか。それで、どんな反応だったんですか?」
「今ちょうど、才能があると認めた写真家の卵たちのグループ展を企画しているところだったらしくて。わたしに、そのグループ展に出してみないかって声かけてくれたの!」
「そうなんですね。おめでとうございます!」
おめでとうございます。それは確かに本心だった。でも、同時にわたしの胸に何かがチクリと刺さる。響子さんは、どんどん先に行ってしまう。わたしはようやく愛毒の存在に気づいたばかりだというのに。
「ありがとう! 会社から帰ったら廃人みたいになっていたころのわたしには、こんなこと想像できなかったよ。こんなことが起きるのも、愛毒を解毒できたからだなーって思ってるんだ」
愛毒を解毒したら、わたしも響子さんみたいになれるのかな。あんな風に、心から楽しい! と思って毎日生きてみたい。
響子さんのその奇跡みたいな話は、愛毒と向き合うことの背中を押してくれた。家に帰ったら、ワークに取り組んでみよう。それで、先生のもとをもう一度訪れてみよう と思った。
ー解説ー マリコは愛毒が誰にでもあるものなのか? 響子さんにはどんな愛毒があったのか聞いてみたくなりましたよね。 これは、マリコが愛毒に対してもっと理解したいと思うようになったからなんです。先生の話を聞いて理解はしたものの、解毒に本気で取り組むための、自分が納得できるあと一押しが必要だったのかもしれません。 響子さんとのランチでは、「食べたいものがわからない」ことが、愛毒により精神エネルギーが消耗していることと関係していると知り、実は愛毒の影響が日常のいろんなことに及んでいることに気づいていきます 響子さんは、解毒したことで始めた写真が認められた話を聞かせてくれましたが、彼女の輝いている姿は、マリコにとっては解毒後の未来像でした。しかし、マリコの心は複雑です。響子さんの活躍に、嬉しい気持ちがある一方で、手放しで喜べませんでした。響子さんみたいになりたいと動き始めたところだったのに、響子さんとまた距離ができてしまうことに、寂しさを感じたからです。 でも、響子さんとの距離ができたことは、追いつきたい、自分もそうなりたいと強い気持ちが芽生えるきっかけにもなりました。マリコは、やっと積極的に愛毒と向き合う気持ちになり、解毒に向けて力強い一歩を踏み出しました。 |
5章 わたしにも「やりたいこと」があったんだ
響子さんとのランチを終えてあわてて帰宅したのに、夫も息子も不在だった。きっと公園に出かけているのだろう。西日が差しこんでほんのりオレンジ色に包まれたリビングには、出かける前にふたりで遊んでいたのか、作りかけのブロックが散乱している。
夕飯の準備まであと1時間はある。先生からの宿題に取り組むには十分な時間だ。すぐにでも動き出したい、そんな胸の中で高まっているうずうずした気持ちを無視したくない。鞄に入れっぱなしだった宿題の紙を取り出すと、ダイニングチェアに腰かけた。
「あ、ペン」
ペンを取りに行こうと椅子から腰を上げたところで、LINEの通知音が鳴った。
テーブルの上に置かれたスマホに目をやると、母からのLINEだ。お母さんか……。わずかな苛立ちが、胸の内を走る。
通知の内容を見ると、いつものように大した要件ではなさそうだ。めんどうだなと思いながらも母親に返事をすると、すぐに既読になり、続けて「今、時間あるの? 電話していい?」と返ってきた。
気持ちが乗っているこのタイミングでやりたかったが、話す時間がないと言えば、嘘になる。
「少しなら、大丈夫」と返信すると、すぐに母からの電話が鳴った。
母の近況や父への愚痴、息子はどうしているのかなど、母の話題は次から次に変わり、たわいもない話が切れ目なく続く。ようやく電話を切ったときには、もう夕飯の準備をする時間が迫っていた。
ああ、またやっちゃった、と思う。そういえばお母さんのペースに巻き込まれて、予定が狂うことはこれまでに何度もあった気がする。
ダイニングに広げた手つかずのワークの用紙に目を落とし、はあ、と小さくため息をつくと、ワークの紙を鞄にしまった。
「ただいまー! ママ、帰ってるのー? お腹すいたー!」
「はーい、ごめんね! 夕飯の準備、急いでするね!」
玄関からの元気な息子の声に、わたしはあわてて立ち上がるとキッチンに向かった。
先生のサロンを訪問する日は、あっという間にやってきた。
今日、これからサロンを訪問するというのに、わたしはまだワークに手をつけられていなかった。あの日、母からの電話でワークに取り組みそびれて以来、なかなかひとりの時間が持てずにいたからだ。
家を出る時間まで30分か。先生のところでやればいいのかもしれないが、なんとなくそれは、居心地が悪い。とりあえず、走り書きでもいいから書き込んでいこう。そうして、なんとかワークを終えると、あわてて家を出た。
サロンに着くと、先生はいつもと同じように丁寧に紅茶を入れてくれた。いつ来ても、先生のサロンは気持ちが落ち着き、居心地がいい。今まで人に話したことがないようなことでも、なんでも話せる、先生はそんな安心感を与えてくれた。
紅茶を一口すすると、まずわたしが口を開いた。
「出がけにあわてて書いたので、字が汚くて読みづらいかもしれません」
すみません、とひと言謝って、宿題の紙を先生に手渡した。
「あら、そんなこと気にしなくていいのよ。十分読めるから、大丈夫!」
そう言うと、わたしの回答を注意深く確認した。
ワーク2 アナタが日常で追い詰められて疲れるとき、どんな気持ちになりやすいですか? また、どんな行動をしがちですか? 回答欄(枠の中に浮かんだことを自由に書き込んでください) すごく気持ちが重くなって、動けなくなる。何もできなくなる。 ワーク3 もし、ワーク2で答えたパターンが一生続くとしたら、アナタは今後どうなってしまうと思いますか? 回答欄(枠の中に浮かんだことを自由に書き込んでください) ただ毎日が淡々と続き、ずっと「なんとなくつまらない」気持ちを抱えながら生きていく |
「あなたは、追い詰められると、すごく気持ちが重くなって、動けなくなるのね。それで、何もできなくなっちゃうんだ」
「はい、そうです」
「じゃあ、そうなってしまうせいで、あなたが我慢したり、諦めたりしたことってあるかしら?」
「我慢したり、あきらめていること……」
わたしは何かを我慢したり、あきらめていたんだろうか。気持ちが重くなって動けなくなったときのことを思い出そうとしたら、うす暗い部屋の片隅で、ダンゴムシのようにうずくまっている自分が思い浮かんだ。
「何もできないまま時間ばかり過ぎていくので、やりたいことをあきらめているかもしれません」
「やりたいことって、どんなこと?」
「息子のもう着れなくなった服を整理して、メルカリに出したいのに、ずっと手をつけられていません。あと、もう何か月も美容院に行けていないんです。毎朝、鏡を見るたびに、髪がぼさぼさで、うんざりしています。……そういえば、新しい服も買いに行きたいけど、それもできていませんでした。それから、たまには夫とふたりでステキなレストランにご飯を食べに行ってみたいって、もう何年も思っています」
胸のなかにしまって気づかないふりをしていた「やりたいのに、できていないこと」が堰を切ったようにあふれだし、次から次へと口をついて出てくる。
「いいわね! あなた、やりたいことが、たくさんあるじゃない。いいじゃない!」
先生が、嬉しそうに言った。
「わたし、こんなにやりたいことがあったんですね」
不思議なことに、やりたいことを言葉にしたら、胸のつかえがとれてスッキリしたような感覚があった。
「じゃあ、次の質問。もしあなたが『すごく気持ちが重くなって、動けなくなる』『何もできなくなる』状態にならない自分だったら、どんなことができていそう?」
ダンゴムシなわたしがいなくなったら、どんな自分になって、何ができるんだろう。
わたしは、うーんと目をつむると、ある光景が脳裏に浮かんだ。喜びと楽しさいっぱいで過ごしていたあのときの気持ちが思い出されて、わたしは弾んだ声で答えた。
「何か、習い事をしているかもしれません」
「へー! やってみたい習い事があるの?」
「歌です。わたし、中高で合唱部だったんです。あのときすごく楽しかったなーって思い出して」
その瞬間、『天使にラブソングを』の映画のワンシーンを思い出した。
「……あ! ゴスペルが習いたいです! 小学生のとき、母に『天使にラブソングを』の映画に連れて行ってもらって、あんな風に歌ってみたいと思ったのが、合唱部に入ったきっかけでした。そういえば、最近カラオケにすら行ってないな。合唱部のときみたいに、また舞台に立ってたくさんのお客さんの前で歌えたら、すごく楽しいかも」
話しながら気持ちが高ぶり、声がつい、大きくなってしまった。
「あら! いいじゃない!」
先生は、ニコニコしてわたしの話にパチパチと拍手をした。
話しているうちに、やりたいことがどんどん具体的にイメージできるようになっていく。すると、楽しい気持ちと同時に落胆も湧いてきた。今の自分とのギャップを目の前に突きつけられたように感じたからだ。
「わたし、今の自分にがっかりしました。こんなにやりたいことがあるのに、何もできていないなって」
表情を曇らせながらため息交じりに言うと、
「あなた、そんな毎日って、つまらなくない?」
と、先生は少し強い口調で言った。
「え? つまらない?」
先生の言葉が、胸に突き刺さる。
「周りからも 『あの人つまらなそうに生きてるな』って思われてるかもしれないわよ。あなた、それでいいの?」
「よくは……ないです」
なんで突然、そんなことを言うんだろうと面食らいながらも、そんな風に言われる筋合いはないと思い、小さな声で返した。
すると先生は、してやったりと言わんばかりに「今、むっとしたでしょ」とにやりと笑った。
「え……。すみません!」
先生に対して、失礼な態度を取ってしまった自分自身に驚き、あわてて謝った。
「いいのよ。それが欲しかったのよ。あなた、むっとできるエネルギーがあるなら、大丈夫。それ、いい兆しだわ。これまでそんな風に、素直に感情を出せなかったんじゃない? あなたの表情、今、変わったわよ。そのエネルギーがスイッチを入れる力になる」
先生は嬉しそうに、いいね!と親指を立てた。
「スイッチ? なんのスイッチですか?」
展開の速さについていけず、確認するように聞いた。
「情熱のスイッチよ! あなたは今、わたしはつまらない人生なんて送るもんか! っていう強い気持ち示したの」
「強い……気持ち」
「その気持ちこそが、自分へ愛と誇りが目覚めたサイン。エネルギーもあるし、もう、いつでも情熱のスイッチを自分で押せるはず。あとはあなたの意思だけよ」
そう言うと先生は、次の宿題を差出し、「それで、いつやる?」と間髪いれずに聞いた。
宿題ができるひとり時間を、いつ持てそうかを考えていると、先生は何かを見透かしたように言った。
「他にもいろいろとやることが、あるかもしれない。お母さんは忙しいもんね。でも、『やりたい』という気持ちが出てきたら、他のことを後回しにしちゃいなさい。自分のやりたいを優先していいんだから」
自分のやりたいことを優先していい。その言葉が、なぜか、あたたかく響いた。ああ、わたしはずっと、誰かにこの言葉を言ってほしかったのかもしれない。
「はい!」わたしはまるで、子どもに戻ったみたいに元気よく返事を返していた。
ワーク4 もしアナタに染み付いている不安が幼少期から受けてきた親の言動に原因があるとしたら、それはどんな言葉や態度でしたか? 回答欄(枠の中に浮かんだことを自由に書き込んでください) |
ーー解説ーー マリコの解毒が進んでいると確認できる、言動の変化が3つありましたね。 一つ目は、やる気満々でワークに取り組もうとしたマリコのもとに、母親からのLINEが届いたとき。 母親を優先し、やりたいことができなかったことにマリコは苛立ちを感じましたよね。これまでも何度も母親との間で同じことが起きていましたが、以前のマリコはそこに違和感を感じることさえできなかったんです。 解毒は、親の精神と自分の精神を切り離していくことでもあります。つまり、「苛立ち」を感じられたということは、マリコの精神が少しずつ、母親から切り離されていっている証です。 二つ目は、先生との対話のなかで、今まで蓋をして押し込めていた「やりたいこと」が堰を切ったようにあふれ出てきたこと。 不快感の自覚、愛毒に縛られていたことの気づきにより、マリコの中に癒しが起きていました。癒しと未来に対する希望により、凝り固まった考えがゆるんで、やりたいことがあふれ出てきたんですね。 三つ目は、先生に対する「ムッと」した感情を、表に出したこと。 ムッとしたということは、自分への愛や誇りがある証拠です。これまで愛毒により抑えられてた自我が、解毒により再び息を吹き返したということです。 解毒が進んでいるからこそ、「自分のやりたいことを優先していい」という先生の言葉を、マリコは素直に受け取り、「やりたいこと」「表現すること」への一歩を踏み出すことができました。 |
6章 愛毒は毒であって、毒じゃない
少し帰りが遅くなってしまった。足早に改札を抜けると、バイオリンの音色がどこからか聞こえてくる。駅前の広場で、バイオリンを弾いている青年が目に留まった。その旋律になぜか心が惹かれる。聞いていこうかな、と思ったが、家路を急いでいる人ばかりで、誰も彼の演奏に耳を傾けていない。
彼の前で、たった一人で聞くのには勇気が必要だった。だってそれは、わたしにとっては目立ってしまう行為だからだ。恥ずかしさで、足を留める勇気が出ない。聞いていきたいけど、ごめんなさい、と心の中で謝りながら彼の前を通り過ぎた。
信号待ちの間も、バイオリンの音色が背中越しに聞こえて来る。どうしよう。目立ってしまうというタブーを破って、このハードルを飛び越えてみようか。わたしは葛藤していた。胸がどきどきしている。
やっぱり、聞いていこう。思い切って心を決めると、わたしはくるりと勢いよく方向転換し、バイオリン青年のもとへ引き返した。
彼の前には、相変わらず観客は誰もいない。それでも、わたしはこの演奏を聞いていくんだ。勇気を出して彼の目の前に立つと、バイオリン青年は、わたしに気づきにっこり笑った。
わたしは目を瞑り、彼の奏でる音の世界に入っていく。力強い音と激しい情熱を感じる旋律に、心が奮い立たされるよう。まるで、これからのわたしを応援してくれているみたいだ。
演奏が終わると、パチパチパチパチと拍手が聞こえてきて驚いた。目を開けると、いつの間にか、わたしの他に数人が彼の演奏を聞いていた。わたしも一緒に、大きな拍手を送る。
彼への感謝と応援の気持ちを込めて、地面に置かれたバイオリンケースにおひねりを置いてきた。人生初のおひねりだ。
「ありがとうございます!」
バイオリン青年は、大きな声でお礼を言った。わたしは、注目を集めてしまうことが怖くて、軽く会釈をすると、足早にその場を後にした。
すると、わたしの後に続いて投げ銭をした人がいたようで、「ありがとうございます!」と青年の声が何度も夜空に響いていた。
わたしが勇気を出したから、足を留める人がいたのかな。投げ銭をする人がいたのかな。
そっか、目立つことって、ときにはいいことも起きるんだ。わたしの心のなかで、何かがパリンと音を立てて割れたようだった。
わたしにとっては、これまでの当たり前をひっくり返す新しい体験となった。
夕飯の前にワークに取り組もうと決めていたので、帰宅すると家族に声をかけ、すぐに寝室に向かった。今夜は、お弁当を買ってきた。あわてて夕飯の準備をする必要もない。
さあて、とペンを持った瞬間にLINEの通知音が鳴った。母からのLINEだ。反射的にLINEを開こうと画面に指をかけたところで、先生の言葉が思い出された。
「自分のやりたいことを優先していいんだから」
そうだ、別に今すぐ返信しなくてもいいんだ。わたしは、スマホの画面をくるりとひっくり返し、ワークに取り組み始めた。
「宿題、やってきた?」
先生のサロンを訪れるのも、ずいぶんと慣れてきた。
「はい、やってきました」
「書き出してみて、どうだった?」
「この間、先生にお会いした日に、家に帰ってすぐにワークに取り組んだんです。でも、ワークに取り組もうとしたら、母からLINEが来て」
「それで?」
「実は、以前もワークに取り組もうとしたときに、母からLINEが来たことがあったんです。そのときは、母のLINEにすぐに返信したら、電話がかかってきちゃって。結局……」
「できなかったのね、ワークが」
「はい。でも、今回は、先生が自分のやりたいことを優先していいと言っていたのを思い出せて」
「ワークを優先できたのね」
「はい」
「いいじゃない! それは解毒が少しずつ始まっている兆しね」
解毒が始まっている。嬉しかった。未来への扉が開き始めたんだ。
「ワークに取り組んでいたら、今まで意識したことがなかった母に対しての不満がどんどん出てきたんです。あのとき、あんなことされたの嫌だったなとか。子どものときのこととか、いろいろ思い出しました」
そう言いながら、先生に宿題の紙を差し出した。
ワーク4 もしアナタに染み付いている「目立ってはいけない」という考え方が、幼少期から受けてきた親の言動に原因があるとしたら、それはどんな言葉や態度でしたか? 回答欄(枠の中に浮かんだことを自由に書き込んでください) ・叔母(母の弟のお嫁さん)は、服装が個性的で、周りから目立つタイプの人でした。母はそんな叔母のことを「あの人いつも派手な服ねー。もっと品のいい服着たらいいのにね」と小言を言っていた。 ・小学1年生のときに、先生がわたしを主役に選んでくれたことがあった。ちょっと嬉しかったけれど、主役をやることが不安だった。母に報告すると、「主役なんて、大変なんじゃない? 大丈夫?」とすごく心配されて、やっぱり主役なんて無理だと思い、他のあまり目立たない役に変えてもらったことがある。 ・中学の合唱部で部長に推薦されたけれど、目立ちたくなくて断った。部長を辞退した話をしたときに、母には「下手に目立つとやっかみに合うから、断って正解だった」と言われた。 |
先生はいつものように、わたしの回答を丁寧に確認すると、へー! と口火を切った。
「あなたは個性的な叔母さんのことを、どう思っていたの?」
「確かに服装は個性的でしたけど、いつもおしゃれでカッコイイなって思っていました」
「じゃあ、お母さんがいつも、叔母さんについて色々言っているのを聞いてどう感じていた?」
「わたしは大好きだったんですが、母は目立ちすぎだと言っていたので、ちょっと変わっている人なんだなと思っていました」
「今、冷静に考えてみて、叔母さんのことどう思う?」
「今でも、素敵な人だなって思います」
「なんでお母さんは、叔母さんのこと良く思っていなかったのかしら?」
「本当、そうですよね。ときどき叔母は、わたしに似合うと思ってって、他の子が着ていないようなすごく可愛い服とかプレゼントしてくれたんです」
「素敵な叔母さんじゃない」
「はい。その場では母も喜んでいたんですけど、叔母さんが帰ると、この服、派手ねって言って……」
「その服、どうしたの?」
「母がどこかにしまっちゃったので、一度も着られませんでした」
「そう。どんな気持ちだった?」
「少し、悲しかった……かな。あの服を着て、学校に行ったりしたかったので」
「ねえ、それって変だと思わない? 子どもが気に入っていたのに、着させてあげないなんて」
確かに、もしよそのお母さんが、子どもが気に入った服をそっと隠すようなことをしたとしたら、ちょっとヒドイなと思うかもしれない。
「本当だ。わたし、かわいそうですね……」
「そうよね。発表会で主役に選ばれたときだってそうじゃない?」
「それは、母はわたしのことを考えて、心配してくれて……」
「あなた、心配されて嬉しかったの?」
あのときわたしは、心配されたかったんだっけ? ……違う。わたしは喜んでもらいたかったんだ。マリコなら大丈夫! って応援してほしかった。
「主役をやることに不安はあったんですけど、本当はやってみたかったんです。だから、母に応援してもらいたかったです」
「そうよね。もし主役をやっていたら、本当に大変な目にあっていたと思う?」
「いえ。わたしの代わりに主役になった子は、とっても楽しそうでしたから」
「そうでしょ。お母さんはあなたを心配したんじゃない。自分の娘に目立ってほしくなくて上手く誘導したのよ」
「え? 母はそんなひどいことしませんよ!」
「でも結果的に、あなたのやってみたい気持ちを踏みにじったし、楽しみを奪ったじゃない?」
わたしは、黙ってしまった。先生の指摘は正論なのだろうと思う。でも、そうですねとすんなりとは言えない。なんだか胸の中がざわざわする。
「もちろん、お母さんに悪気はなかったのよ。喜んだり、応援したい気持ちもあったとは思う。それでも、『目立つことは良くない』という考えが強すぎて、それを曲げられなかったのよ」
「客観的に先生の視点で見ると、そういうことなんですよね」
先生は、黙ってうなずいた。
「合唱部の部長は、自分で辞退したのよね。お母さんに、断って正解だったって言われてどう思った?」
「たしか、ほっとしたと思います」
「どうして、あなたはほっとしたの?」
そう、確かにあのとき、母にそう言われてほっとしたんだ。ああ、わたしの判断は間違っていなかったって。
「母が、そう言うと思ったからです。あ……」
そう言ってから、わたしはあることに気づいてしまった。そうか、わたしは……。
「あなたが辞退したのは、お母さんの気持ちを先読みしていたんじゃないの?」
「はい。今思い返すと、そうだったんだと」
「お母さんが、あなたを守りたい気持ちはよくわかった。それも立派な愛よね」
「はい」
「でもあなたが心からやりたかった気持ちは、どうなっちゃったのかしら?」
「え?」
「あなたが本当に大切にしたかった気持ちは、雑に扱われたんだと思う。お母さんは、あなたを守ることを愛と勘違いして、あなたの本当に大事なものを見逃してしまったのよ」
「大事なもの……?」
「そう、あなたの美しい欲望たちをね」
先生を通して語られる幼かった自分の物語。それは、わたしが知っていた物語ではない。わたしの物語には、自分が知らない別の物語が存在している。そのことに、わたしはこのとき初めて気がついた。
「あなたは小さかったから、まだ自分にとって必要なもの、必要でないものがわからなかった。だから『親から注がれるものは、すべて娘のわたしを想っての愛情だ』『親がわたしに間違えていることを伝えるはずがない』って思い込んでしまったのよ。そうやって、必要のないものまで無防備に受け取ってきたの。全部、お母さんに愛されるために」
先生は静かに、それでいて力強く言った。
「全部、お母さんに愛されるために」
「そうよ。お母さんに愛されるために、あなた今までよく頑張ってきたわね」
よく頑張ってきた。先生のその言葉で、心の中で固く閉ざされていた扉が開いたようだった。過去に我慢してきたこと、ツラかったことが一つ、また一つと思い出され、その度に胸の奥がきゅっとなった。
「ほんとうだ。わたしすごい、頑張ってきたのかも」
ぽつりと呟くようにと言うと、目に涙がじんわり浮かんできた。
「でもね、お母さんも若かった、未熟だったのよ。もちろん、未熟だったからと言って、あなたに我慢させてもいいってことではなかったけどね」
「そうか、お母さんも未熟だったんですね」
「でも、お母さんの未熟さに気づけたってことは、もう、あなたはお母さんを越えているってことなのよ。これからは、お母さんの未熟さから生まれた愛毒に縛られる必要はないの」
「わたし、解毒したら、愛毒で染みついてしまった『目立ってはいけない』と思うことをやめられるんでしょうか」
その言葉を聞いて、先生はあわてるように言った。
「あ! そこは、間違わないで欲しいの。やめる、やめないじゃないのよ。思い出してみて。『目立ってはいけない』って、あなたにとって悪いことばかりだった? あなたが『目立たないようにしている人』だから得られたことだってあったはずよ」
目立たないようにしたことで、良かったことなんてあっただろうか……。ああそういえば、ひと月ほど前に、得意先のイベントのお手伝いにいったときに、目立たなかったのが良かったと言われたことがあったなと思い出した。
「そうですね。きっと、わたしが目立たないようにしていたことで、謙虚さをお客様から買われたことがあります」
先生は、やっぱりという顔でわたしを見ると、
「そうでしょう。愛毒は悪いことばかりじゃない。『目立ってはいけない』って、実はあなたのお母さんからのプレゼントでもあったって思わない?」と言った。
「たしかに、社会で生きていくための、人生を助けてくれる母からのプレゼントだったのかもしれませんね」
愛毒は、わたしを苦しめるものだとばかり思っていたけれど、悪いことばかりじゃないんだと思うと、ほっとしている自分がいた。母はわたしを苦しめていただけじゃない、という事実にほっとしたのかもしれない。
「あなたにとっては、目立たないように生きることは、ちょっとした試練にもなっていたでしょう。でも、試練だったから、あなたが社会を生き抜くための力になったって言えると思うの」
「そうか。わたしは38年かけて『目立たないようにする』という力をつけてきたということですね」
先生の言うことは、すごく納得できた。
「そう、目立たないようにすることは、あなたにとって必要なことでもある」
「愛毒のことを知ってから、目立たないようにしてしまう自分を自覚するようになって、『あーわたし、これをやっちゃうからいつまでも自分を出せずにモヤモヤしちゃうんじゃないか』って思ってたんです。でも、目立たないようにしている自分をダメだと思う必要はないんですね」
「そうよ、ダメだなんて思わなくていい。今までは、人に嫌われないとか、叱られないとか、自分を守るために『目立たないようにする』をしてきたから、愛毒があなたにとってツラいものになっていたの。きっとあなたは、目立つべき場面でも、目立たないようにしてきたんじゃない? それは、疲れるわよ」
「そうかもしれません。この間も、そんなことがありました」
そう言いながら、バイオリン青年の演奏を聞いたあの夜のことを思い出していた。
「これまでは『目立たないようにする』ことは、自分に無理をさせていたかもしれない。でも、愛毒を解毒すれば、『目立たないようにする』ことを、今度は自分を輝かせるために活かせるようになるわよ」
「自分を輝かせるために?」
「そう。だから、『目立たないようにする』のをやめなくていい。やめるんじゃなくて、使い方を変えていくだけ。きっと、これからあなたが本当にやりたいことをやるときに、『目立たないようにできる』ことがあなたを助けてくれるはずだから。もっと言うと、『目立たないでいられる』ことが、あなたの魅力の一つになるわよ」
「え? 目立たないでいることが、わたしの魅力になるんですか?」
「そう。きっと解毒したら、あなたは目立つべきところで、目立っていけると思う。たとえば、『目立つから』という理由で、封印してきたあなたの素晴らしい個性を使ってね。あなたなら鼻につくような目立ち方ではなく、本来の魅力が輝く、美しい目立ち方をしていくはずよ。あなただから、それができる」
目立たないようにすることが、わたしの魅力になる。これから、何かを表現していくときに、美しい目立ち方をしていける。その言葉は、わたしを勇気づけてくれた。これまで、すごく頑張ってきた。その頑張りが、これからのわたしの魅力になっていくんだ。未来が具体的にどう変わっていくかはわからないけれど、きっと、これからもっと楽しくなる。きっとわたしは、もっと素敵になれる。自分の未来への信頼のようなものが、腹の底からぐっと湧き上がってくるようだった。
「今なら、ゴスペルのグループに入って、ステージに立つことができそうだと思わない?」
先生の問いに、できそうな気がします! と即答しているわたしがいた。その声は、今までにないほど力強く、そして頼もしく響いたように思った。
「あなたの解毒は、順調よ! これから、“精神エネルギー”の消耗が少なくなってくるはず。きっと、日常のなかで何か気持ちに変化が出てくるはずよ」
先生は、わたしのこれからの物語を楽しみにしているみたいだった。まるでドラマの続きが楽しみで仕方ないように。
変わっていく自分への期待や希望を胸に、今にも羽ばたいていけそうな軽い足取りで、わたしはサロンを後にした。
ー解説ー ここで、マリコの解毒が、大きく進んだことに、気がつきましたか? 「目立ってはいけない」という愛毒で、今までどんな目立つこともマリコにとってはタブーでした。 それが、愛毒によるタブーを破り、バイオリン青年の演奏をたった一人で聞くことができました。これは、マリコにとって大きな一歩です。この体験は、解毒を一気に進めるためにも大事な意味を持っていました。「目立つ」行動をしてみたけれど、何も悪いことは起きなかったという事実を知ることができたからです。同時に、自分が「目立つ」行動をしたことで、周りに良い影響を与えられることを知る機会にもなりました。 先生との対話では、愛毒により自分がどれほどツラい思いをしてきたかを、やっと実感することができ、これからは「目立ってはいけない」と思うことをやめたいと思えるようになりました。 でも、先生がとても大事なことを教えてくれましたね。愛毒の解毒とは、「愛毒によって染みついた行動を、やめることではない」ということを。そして、愛毒によって努力して身につけてきたことは、社会を生きるための糧になっていたことを知り、愛毒の捉え方が変わっていきます。 愛毒は、自分を苦しめるだけじゃありません。愛毒によってつけてきた力は、これから本当にやりたいことや才能を輝かせる栄養になる。そんな愛毒を人生の味方につけるという考え方に、マリコは救われます。 マリコは、これまでの自分を労うことができ、スッキリとした気持ちになりました。そして、やりたいことに向かっていける勇気が湧いてきたようです。 |
7章 鳥かごの扉は、いつも開かれている
「めずらしいね、鼻歌なんて。それ、何の歌だっけ?」
洗い物をしていると、夫にふいに声をかけられた。
「あ、やだ。ほんとだ」
無意識だった。夫の指摘に照れくさくなったが、こんな自分も悪くないと思う。
「『天使にラブソングを』の主題歌だよ。ゴスペル習いたいと思っていて」
「へー! いいじゃん。マリコ、歌好きだもんな」
嬉しそうに夫が言うので、わたしも嬉しくなる。
最近、なんだか気分がいい。アドレナリンが高まっているというか、軽く興奮しているというか。ウキウキした気持ちでいる時間が多くなった。そういえば、週末に何もやる気が起きなくて、一日中スマホを触っていることもなくなったな。やりたいのにできなかったことも、少しずつ手をつけ始めた。何か月も伸ばしっぱなしだった髪を切り、ゴスペルを習えるところだって探し始めたのだから。
そう。わたしには、今、やりたいことがいっぱいある。だから、時間が惜しい。そのために、やらなければと思っていたことを、あっさりと「やらない」と決めることもできた。
少しでも高く売りたいとメルカリに出品するはずだった息子の服は、手間を考えて、近場のリサイクルショップでまとめて売ってしまった。たいしたお金にはならなかったけれど、寝室のクローゼットからあふれていた息子の服が一気になくなり、部屋がスッキリしただけじゃなく、気持ちもなんだかスッキリした。
来月の結婚記念日は、夫とふたりでレストランで食事をすることだって決まった。ダメ元で母に息子を預かってもらえないか頼んでみたら、二つ返事で快く引き受けてくれた。
「お母さんも、お父さんと若いときにそういうことしたかったなって、今になって思うのよ。マリコは後悔しないように、夫婦ふたりの時間を大切にしなさい」
そんな思いもよらない言葉まで返ってきて、少し驚いてしまったくらいだ。
「じゃあ、行ってきます! 夕飯、おいしいもの食べてね!」
「ああ、マリコも! いってらっしゃい」
弾んだ声で家族に声をかけ、玄関のドアを開けた。
今夜は、久しぶりに響子さんと会う。今夜の店を選んだのはわたしだ。小さな子どもづれでは行きづらく、いつか行ってみたいと思いながらあきらめていた憧れのレストラン。
レストランに向かう道で、少し先を歩く響子さんの姿を見つけた。
「響子さん!」
駆け寄ると、今日は同じタイミングだったね、と響子さんは笑った。
「今日は、ランチじゃなくて大丈夫だったの? 旦那さんと息子くんは?」
「夫に話したら、いいよ! って即答でOKしてくれたんです。息子と一緒に夕飯作るんだって、張り切ってました」
「いい旦那さんじゃん!」
「今まで、子どもが小さいのに、母親が夜に一人ででかけるなんてあり得ない、と思っていたんです。でも、このお店は、ランチよりも絶対ディナーの方がいいと思ったんですよね」
「マリコ、なんか……いいね!」
響子さんは嬉しそうに、わたしの肩をポンとたたいた。
「うわ、美味しいー」
料理をひと口ひと口、味わいながら、いちいち感動した。夫と息子にも食べさせてあげたい。息子が大きくなったら、3人で来るのもいいな、そんなことを考えていた。
響子さんは、例の写真家の卵たちのグループ展の続報を話してくれた。
憧れの写真家さんと一緒に、展示する写真を選んで大興奮したこと。
ほかの写真家さんたちとの交流が、創作の刺激になったこと。
趣味でいいと思っていた写真だったけれど、コンクールに挑戦してみたくなったこと。
そんな話を聞きながら、わたしは自然と「すごい!」「いいなー」「羨ましい!」と口にしていた。その言葉の裏に、嫉妬はない。素直なわたしの気持ちだった。
きっと以前のわたしなら、応援したいと思っているのに、自分だけ置いて行かれたような気持ちが拭い去れず、手放しで響子さんの活躍を喜べなかっただろう。そして、そんな自分をイヤだと感じていたはずだ。
しかし今のわたしは違う。同じようにわくわくした気持ちで話を聞いている。響子さんの活躍は、わたしの希望だ。そう遠くない未来に、同じように楽しい何かが起きる予感を確かに感じている。
わたしも、どんどん解毒しよう。そして愛毒を自分の魅力にしていくんだ。
「マリコの夜にひとりで出かけた記念にさ、一緒に写真撮ろう!」
久しぶりの再会を果たした日と同じように、響子さんと肩を並べて写真を撮った。
「マリコ、いい顔して写ってるよ」
響子さんが、今撮ったばかりの写真をスマホの画面に表示して見せてくれた。
カメラをのぞき込むと、そこには、前回とはまったく違う表情をしている自分が映っていた。
「あ、わたし、笑ってる」
喜びが体中にひろがって、胸がふわっと暖かくなる。
「え? 何? どうしたの??」
「なんでもないです、なんでもないです!」
わたしは笑いながら、また、スマホの画面に映った笑顔の自分を見て思った。
わたし、今なら、自分を好きって言えるかもしれないな。
ーー解説ーー マリコは、精神エネルギーの消耗が少なくなり、日常でうっかり鼻歌を歌うほど気分が軽くなりました。これまでの色んなことが滞っていたのが嘘のように、すいすいと物ごとを決断し、行動できるように変わりました。 自分を大事にするために、親にも遠慮なくわがままを言えるようになって、自分の好きなことを決断できるようにもなりました。 精神エネルギーが、ちゃんと「欲動」に使えるようになってきた証拠です。 またマリコは、やっと響子さんの活躍を心から応援し、自分のことのように喜ぶことができるようになりましたよね。自分を認め、自分に満足して、初めて本当の意味で誰かを賞賛したり、認めることができるようになるからなんです。 精神エネルギーが、きちんと使えるようになると、誰でも自然に美しく輝き始めます。笑顔も自然で美しくなっていきます。 マリコは今、誰とも比べることなく、自分だけの人生の楽しみを感じ始めました。 きっと、これからどんどん輝きを増していくはずです。 先生と初めて会った、あの日。自分のことを好きかと尋ねられて、即答できなかったマリコでしたが、解毒が進んで自分を好きと思えるようになりました。 ステージでゴスペルを歌う日も、そう遠くないかもしれませんね。 |
おわりに
これを読み終えたあなたは、うずうずしたものを感じ始めましたか? それともモヤモヤしていますか?
うずうずもモヤモヤも、あなたの“欲動”が愛毒に抵抗し始めたサインです。
まずは何に、自分の限りある精神エネルギーを注ぎたいのか意識してみてください。この物語では、愛毒の一例として「目立ってはいけない」にフォーカスしましたが、愛毒は人それぞれ。「ちゃんとする」「芸事で成功するのは、ずば抜けた才能がある人だけ」「わたしは大した事がない人だ」「お金がないのは、みじめ」など、千差万別です。
きっと今のあなたは、その“美しい欲動”に精神エネルギーを使えない理由が何なのか、どんな愛毒にエネルギーを奪われているのかを、少しずつわかってきていると思います。あなたの中に沈殿している愛毒を、どんどんワークに乗せて解消していってください。
そのために大事なことは、日常の違和感や不快感に敏感になること。スルーしないで丁寧に掘り下げて扱ってみることです。
わたしは、うわべだけじゃない、精神的な生命活動そのものが感じられるような、美しいものを眺めるのが好きです。
ですが、今の時代、精神的にじわじわと追い詰められている人が多く、成長とともに自然と解毒するのが難しくなっていると、感じています。すると、自分の美意識がわからなくなり、美しくない不自然な生き方に進んで行ってしまいがちです。
人から「すごい」と言われる人を目指すのは、本当に“美しい”生き方なんでしょうか。
特別な存在になることは、本当に“美しい”生き方なんでしょうか。
自分の美意識を、気づかずに犠牲にしているように見えます。
あなたを始め、ひとりでも多くの人が、愛毒を解毒して美しく生きられることを望んでいます。そうして精神が成熟した大人が増えれば、次の世代も成熟した精神を持つことができるでしょう。逆に、精神が未熟な大人が増えれば、未熟な子どもたちが増えていきます。わたしは、そのことを危惧しているのです。
だから、まずはあなたから、精神エネルギーが“美しい欲動”に使われて、イキイキと輝く姿をわたしに見せて欲しいんです。あなたが美しく生きる、その姿はまさに芸術品だと思うのです。
わたしの思う芸術は、人の心を解放するものです。精神エネルギーが“美しい欲動”に使われ始めると、きっと、自分の心だけでなく、周りの人の心も解放されるでしょう。
あなたの解毒が、社会の解毒にもつながります。
精神的に成熟して、美しく生きてみませんか?
最後に。
精神科医として患者さんたちから、人間の精神に潜む普遍性について多くのことを学ばせてもらいました。
わたしは、そんな患者さんたちに、人間の強さと美しさを教えてもらったのです。
愛毒は、すべて患者さんとのやりとりから抽出された概念です。
この場を借りて、美しく生きる姿を見せてくれたすべての患者さん、そしてこの本と出会い、これから美しく生きていく一歩を踏み出したあなたに感謝を伝えさせてください。
ありがとうございました。
2023年 精神科医 宇谷悦子
【読者プレゼント】 最後まで読んでくださった皆様に、ささやかなプレゼントを用意いたしました。 アンケートにご協力いただいた方全員に「愛毒チェックシート」をプレゼントします。 あなたにどのくらい愛毒が沈殿しているのかをチェックできるシートです。自分の愛毒レベルを確認し、解毒を進めるためにご活用ください。 https://docs.google.com/document/d/1Ykcs1jWbzdE69vqMZKrdYJ5WYeN1egLqcf_E9fGyMCk/edit?usp=sharing いただいたご回答は、この物語をさらに昇華させて、もっともっと多くの人に届けるための参考にさせていただきます。 |
【お願い】 もしあなたが、この物語を読んで「愛毒についてあの人に教えたいな」「あの人が知ったらいいんじゃないかな」と思う方がいらしたら、ぜひ、この物語を紹介してください。 美しく生きられる人を増やす。そのわたしの活動に、ご協力いただけますととても嬉しいです。 物語を紹介する際は、こちらのURLをお伝えください。 |