忙しすぎて、“やりたいこと”がわからなくなったあなたへ
「このまま、死ぬのかもしれない」
そう思った瞬間、“わたし”は気づいてしまったのです。
—「もっと、音楽をしたかった」
—「バレエも、猫も、人生で一度もちゃんとやってこなかった…」
病室で横たわる“わたし”の口から、あふれるように出てきた言葉だった。
—
その数ヶ月前、“わたし”は猛烈な忙しさの中にいた。
精神科病院の常勤医として、60名の入院患者、週に何十人もの外来診療。
家に帰れば、幼い子どもの育児と家事。
日々に追われるなかで、
「やりたいこと」も「好きなもの」も、完全に感覚が麻痺していた。
そんなある日、
「そろそろ博士号、取らなきゃ」と思い立ち、大学院を受験する準備を始めた。
それは、自分の本心から出た願いではなかった。
—
忙しすぎると、“やりたいこと”が見えなくなる
“わたし”はある日、尊敬する女性の先生のもとを訪れた。
病気から回復し、ようやく日常に戻ったばかりの頃だった。
—「私、脳炎で倒れたんです。試験の3日前に入院して…。
そのとき、死ぬかもしれないって思ったら、
“好きなこと、何一つしてない”って気づいたんです」
先生は、ゆっくりとうなずいた。
—「それはね、本能が目覚めた証拠よ」
—
本能が目覚めるのは、危機のとき
—「病気になるって、もちろん辛いことだけれど、
“本当に大事なもの”だけが残る瞬間でもあるのよ」
—「理性も、知性も、感情も、すべてが使い物にならなくなるとき、
“本能”だけがはっきり見えてくるの」
—
—「私はあのとき、
音楽とバレエと猫のことしか考えられなかったんです。
それ以外は、どうでもよかった」
—「それが“本質”ってことよね。
人は、本当に大切なものしか、命をかけて望まないのよ」
—
病気にならなくても、本能にふれる方法
—「でも、そんなに危ない目に遭わなくても、
本能や直感を取り戻す方法ってありますか?」
—「あるわ。たとえば、“死を想像してみる”ことよ」
—
—「えっ…怖いです」
—「大丈夫。痛みや苦しみは想像しなくていい。
ただ、“明日、自分がいなくなるとしたら”って問いかけてみて」
—「…何をやり残してる?
何をしないまま、終わりたくない?」
—
“わたし”は、少し黙ってから、ぽつりとつぶやいた。
—「音楽、やっぱりやりたいです。バレエもまた踊りたい。
猫も、飼いたいです」
先生は、穏やかな目で答えた。
—「それで十分。
それが、あなたが“自分の人生に戻る”第一歩よ」
—
体が教えてくれる“生き方の修正サイン”
—「先生、あのときの私は、がむしゃらに働いて、
ストレスをストレスとすら感じないほど、麻痺してました」
—「そうね。ストレスと認識されないストレスは、
体のほうが先に“異常”という形で知らせてくるのよ」
—「じゃあ病気って、“間違った方向に行ってるよ”っていうサイン…?」
—「そう。魂のサインかもしれないし、
遺伝子レベルで出る“生き方の警報”かもしれない」
—
本能に還ることで、“わたし”が還ってくる
“わたし”はその後、ピアノを買い、バレエを再開し、猫を迎えた。
自宅に戻ったとき、部屋の中の“余計なもの”が急に気になり始め、
物を手放すことから、人生のあり方を変えていった。
—
—「先生、今思えばあれが“厄年”でした。
でも、人生の棚卸しにはちょうどいいタイミングだったのかもしれません」
—「そうね。
本当の“厄落とし”って、
生き方を見直すための“通過儀礼”なのかもしれないわね」
—
まとめ|命の危機が教えてくれたもの
人は誰しも、
見えないストレスや同調圧力、プライドや義務感の中で、
いつしか“自分の本音”を見失ってしまいます。
でも、人生のどこかで、
強制的に立ち止まらされることがある。
それは“病気”という形かもしれないし、
“違和感”や“倦怠感”として現れるかもしれない。
—
そのときこそが、“わたし”に還るチャンス。
—
あなたが今、
「何のために生きているのか」わからなくなっていたら、
一度、**“もし明日すべてが終わるとしたら”**という問いを、
そっと自分に投げかけてみてください。
—
答えは、きっと、
静かな本能の奥から聞こえてくるはずです。
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