天才かどうかは死んでみないとわからない

先日、天才と幸せについて
考えさせられる
貴重な機会がありました。

私としては
天才は
天から与えられた才能

すなわち誰にも備わっている
自然の素質が成長過程によって
良くも悪くも磨かれたもの

という認識を持っていたのですが、
それとはちょっと違うお話でした。

おそらく後世にまで
影響を残すような
偉業を残せる人を
超天才と呼ぶのかもしれません。

そして、そういう稀有な人は
どこかを突出させるために
どこかが犠牲になっており
幸せと両立することが
なかなか難しいのではないか?

というお話でした。

確かに、歴史を振り返ると
数々の天才が
精神を病んでしまい
生き続けることに
耐えられなくなって
最後には自ら死を選んでます。

なんとかして、
天才性の発揮と
幸せを両立できる方法が
ないものかと考えてしまいます。

存命中に、
その稀有な天才性が
認められる場合もあれば
死後に認められる場合も
ありますよね。

ピカソとゴッホのように。

逆に、
存命中には認められていても
死後100年経ったら
忘れ去られていた
ということもあるでしょう。

はたからみた幸せを優先するのか
自分の感じる幸せを優先するのか
幸せなんかどうせもいいから
真理を追求する方を優先するのか

それはその人の自由なんじゃないかな?
と思います。

ゴッホもある種
欠乏感と充足感を
同時に感じながら
人生を終えたのではないでしょうか?

私は、
かわいそうだとは思いませんし、
むしろうらやましいくらいです。

時という次元を越えて
多くの人々の心を捉えることに
成功したのですから。

でも、それには
想像を絶する精神の犠牲が
払われたのでしょうね。

そういうことで、私は
音楽を含む芸術について
最低100年間は残って
人々の心を捉え続けているような
ものでないと芸術と認めてません。

偉そうに!

逆に、
普遍的な真理に辿り着いたものであれば
時代が変わっても
そのぐらいの長い期間は
残り続けると思うのです。

今現在、
多くの人の心を捉えているものでも
これは100年後も残っているだろうか?
という観点で
想像してみることにしています。

え?何様?神様?

何が言いたいかっていうと
今、超天才!ってもてはやされていても
死んでからしばらく経ってみないと
その人の本当の天才性は
評価されないんじゃないかな?
ということです、はい、以上。

そんな中
ジブリ作品って
永遠に残っていくような
気がするんですよね。

好き嫌いはあるかもしれませんが
多くの人の心を深く
捉え続けていることには
まちがいなしです

 

天空の城ラピュタより

「君をのせて」

私がそそられる歌詞は、

「たくさんの灯が
なつかしいのは
あのどれか1つに
君がいるから」

というところです。

なんていうか、
なんらかの事情で
全人類の人口では
地球に住めなくなって
半分ぐらいの人が出て行かないと
いけなくなり
宇宙から地球を眺めて
なつかしく感じている
感覚になるのです。

出ました、変態思想!

あとは

「父さんが残した熱い思い
母さんがくれたあの眼差し」

これは、自分のリアルの
両親ではなく、
人類の意識の根底にある
原型イメージのことだと思うのですが

つまり
受け入れてくれる社会があり
そこに向かっていく信念や美学があり
うちひしがれても
また戻って癒してくれる
安全基地があるから
思い切って自分の才能を
発揮してみよう!

というメッセージだと
思うのですよ。

あなたは、
自分の天才性と幸せの
両立について
興味ありますか?

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