2021
05.29

ネオエゴイズム 自分のために生きる本能を呼び覚ます

podcast

今回も
このポッドキャスト番組へ
耳をお運びいただき
ありがとうございます

こうやって
私の声とあなたの耳で
何かが繋がれたこと
とても嬉しく思います
 
精神科医 宇谷悦子です

 
ところでみなさんもうご存知でした?

この番組のタイトルでもある
 
ネオエゴイズムという言葉
 
聴き慣れない言葉ですよね

もしかしてちょっとあやしいと感じました?
 
ふふっ

いいんですよ、正直な気持ちで

でも、その戸惑いを超えて
あなたはこの番組に耳を踏み入れてしまった

何かが変わる予感がしてきませんか?
 
そう、ここは、あなたが

何の役割も持たない
何の条件も課されない

ただのあなたに出会える場所

自分のためだけの自分

まわりに誰もいなくなっても
果たして自分は自分でいられるのか?

ネオエゴイズムに込められた
私の思いについて
少しお話してみたいと思います

ちなみにエゴという言葉

世間一般では
自己満足とか自己都合とか自己中心的とか
自分のことしか考えてない
自分さえ良ければいいなど
あまりいい意味で使われませんよね

精神医学の世界では
エゴと言えば自我
つまり
自分が自分という意識
自分の思考や感情が自分のものであり
他人とは違うという認識
のことを言います

簡単に言うと
自分と他者の境界みたいなものですね

自我親和性とか、自我違和感とか、
自我の脆弱性とか、自我融和性とか、
自我境界とか、自我の狭窄とか
精神医学用語では表現としてよく使われます

大事な精神機能の1つとして扱われています

このように
世間一般とのズレた認識はありますが
私はあえてエゴをいろんな意味で捉え直し
独自の表現をしていくと思いますので
その点ご了承くださいませ

さて
この感覚、お嫌じゃなければ
どうぞこのまま最後までお付き合いください
 
はじめに私の秘密を告白しますと
 
偉そうにエゴを語ろうとしていますが
私自身は
エゴイズムつまりワガママどころか
天然のお利口さんなんですよね
 
社会的にはきちんとした職についているので
そうみてくださる方も多いかもしれません
 
しかし
大人の顔色やご機嫌を伺うために
頑張ってお利口さんをしたつもりは
ありませんでした

いえ、無意識にはあったのかもしれませんが
当時はむしろお利口さんに思われるのが嫌でした
 
私にとっては
早寝早起きの規則正しい生活が
とても自然で心地よかったですし
出された食事は
好き嫌いなくどれも美味しく
味わって食べましたし
勉強もゲームみたいで面白いから
自分から進んで予習ばかりしていました
習い事も上手になりたくて
毎日どんどん練習しました
 
その代わり
やりたくないこと
例えばスポーツなどは頑としてやらない
先輩や先生の圧力にも一切屈しない
嫌われてもいいから言いたいことを我慢しない

という
完全に周りの目を気にせず
ライバルはいつも自分

そんな感覚で
いかに自分が満足するか?
という評価軸で生きてきたような気がします

高校時代に友人から付けられた四字熟語は
傍若無人

傍に人なきがごとし
 
高等動物とはかけ離れた
自分の世界だけで生きている
原始的な精神構造だったのです
 
このように
自分では欲望に対して忠実に
生きていただけのつもりでしたが

不思議なことに
大人や社会からは
なんてお利口さんなんだ!と称賛されました
 
お利口さんなんてクソくらえ!

と心の中では叫んでましたが
自分の欲望に従って生きると
どうしてもお利口さんに見えてしまう

でも自分の美意識が違和感を感じることは
どうしても出来ませんでした

自分がこうしたいと思うことに
忠実に従っていると
私はいつまでたってもお利口さんのままでした
  
そうすると
身近な人や友人や有名人を含め
アウトローというか世の中のはみ出し者
みたいな人たちを羨ましく思っていました
 
個性とんがってるなーって
 
お利口さんイコール個性がない
 
そんな思い込みとともに
思春期から青年期を過ごしてきたような気がします
 
舞台女優などの華やかな世界に憧れるけど
無難に生きるのが
お利口さんの私には似合っているだろう
 
背も低く容姿も地味
華もないし目立たない

つまり個性がない平凡な自分
 
だったら何か
世の中の役に立てることを
身に付けなければ
 
そういう個性コンプレックスから
医者という堅実な道を選んだのかもしれません
 
加えて精神科医という仕事は
徹底的に個人の気配を消さなければならない
仕事でした
 
精神科での治療はかなり複合的で
医者個人のやり方によって
必要最低限以下にも
必要以上の余計なお節介にもなります
 
いずれにしても
医者自身の個人的反応が
患者さんの精神内界に
良くも悪くも影響を及ぼすことは確かです
 
私は長い間
精神科医という役割の仮面をつけ
社会機能においては
徹底的に個を消す必要がありました

白衣を着て自分のカラーを消している感覚でした
 
診察室では
患者さんは私を精神的な柱として
みなすわけですから
そういう存在になる必要を感じていました

正義の味方ぶった責任感から
 
私情で動いてはいけない
私のちっぽけなプライドなどどうでも良い
患者さんを救うための誇りだけで動け
自己顕示欲やコントロール欲で動いていないか?
単に患者さんや家族、職員、世間から
賞賛されたいために動いてないか?

自分さえ守られればいいという
保身やことなかれ主義に傾いてないか?

自分の未熟さや至らなさから起きてくる
恐れや逃避、防衛からの反応で動いていないか?
 
常に自分自身で
エゴパトロールしてきました

どんな仕事でもそうだと思いますが
精神的な深い関わりにより
どんどん自分の無熟さが炙り出されました

そうやってとことん
自分の未熟な部分と対峙し
エゴパトロールを続けた結果

自分を喜ばせてきた欲望をまでも
知らず知らすのうちに
取り締まっていたのかもしれません
 
暖かい信頼関係は保ちつつも
個人的な感情領域では冷静を保ち動揺しない
 
自分の個人領域に刷り込まれた価値観や
外部から入ってくる先入観で判断や評価をしない
 
感情を揺さぶられず
冷静でありながら冷酷ではないあり方
 
一見
自我がどんどん成熟していったように
思えました

お互いに不快でない距離を保ちながら
治療ができている

私も患者さんも
ともに心地よく安心して
良い未来に向かうために協力し合っている
 
でもそれは全て患者さんのため
 
私は患者さんのために存在している

ある意味
おめでたく自分に酔っていたのかもしれません
 
患者さんのために
成長していっている私って素敵!
 
医療従事者や相談業などの
滅私奉公業にはよくみられるのかもしれません
 
ランナーズハイというか
マゾ的な自己犠牲に酔いしれて
それを本当の喜びと勘違いして
偽物の喜びや快感に浸る
 
しかし、その偽物の喜びに気づかず
自分を喜ばせる本当の欲望に
気づかないまま走り続けると
どうなるのか?

私の場合は脳炎による緊急入院がそれでした 
 
ある日電池切れや強制終了という形で
幻想の世界が終焉を迎えるのです
 
そうなって初めて
自分が本当にしたいこと
つまり自分を本当に喜ばせる欲望の声を
ずっと無視し続けていたことに気づいたのです
 
自我がしっかりしているようで
しっかりしていなかったんですよね
 
神か仏にでもなるつもりだったのでしょうか?
 
自分の人間くさい欲望を封じ込めれば
崇高な存在になれると勘違いしていたのでしょう

本能の声を聞くことをすっかり忘れてたのです

人間は窮地に追い込まれたり
死を意識すると
眠っていた本能が目覚めることが
あるんですよね
 
緊急入院して病室で一人になった時
その時受け持っていた患者さんたちのエネルギーが
ブワッと迫ってきて

私たちのことは心配しなくていいから
先生は自分の治療に専念して

と言われたような気がしました
 
そしてそのエネルギーは一瞬にして
私の元から消えて無くなりました

その時に
ああ、私は患者さんたちの存在によって
自分の存在を実感できていたんだな
とわかりました
 
その役割がなくなれば
私もただの一人間であり
なんら患者さんたちと変わらない
 
では一体
全ての役割が取り払われた時に
自分には何が残るんだろう?
 
自分の存在の実感を
まわりに頼ってばかりでいいのか?

もっと自分自身で自分を感じたい
 
自分を大事にする
自分を喜ばせる

自分に対する愛

それに基づく欲望までも
エゴパトロールによって
排除しようとしていたのです
 
それに気づいてからは
もう一度自分の欲望に耳を傾けるようになりました

最初は些細なことでした

猫を飼いたい
ピアノを弾きたい
バレエを踊りたい
 
病後の思うように動かない体でしたが
もうその欲望を抑えることはできませんでした
 
止める声も内外から聞こえてきましたが
人生はそんなに長くないかもしれないと思うと
掻き立てられるように
欲望に忠実な方向へ動いていきました

そうすることにより
喜びが蘇ってきたと同時に
若い頃に諦めていた
個性というものが浮かび上がってきたのです
 
本当の意味で個を取り戻すには
奇をてらうことや人と違ったことをするのではなく
自分を喜ばせる欲望に忠実になることだったのです

私にとってはもしかしたら
天然のお利口さんが個性だったのかもしれません

それは私をくすませるものではなく
輝かせる特性の1つでした

自分が何かに遠慮したり罪悪感を
感じたりせずに
本当にやりたいこと少しずつ始めることにより
自分の中の何かがよみがえってきます

自分の中で忘れかけていた快感が
感じられるようになり
次から次へと興味が湧いてきます
 
その興味に従って
自分から何か発したりしていると
驚くことに

独特な世界観ですね
とか
個性の塊ですね
など

若い時に欲しくても手に入らないと思い込んでいた私の個性への欠乏感が
時を経て満たされていく感覚がしていました

ああ、個性を研ぎ澄ますって
人の目を気にしたり
人のために存在する
自分になることじゃなかったんだ

そういう洞察を深めながら
今ここに辿り着いたのです

個への渇望

どんな立場にいる人も
誰かのための存在である前に
自分のための存在であります
 
最後の最後自分を救えるのもまた
自分しかいないのです
 
多くの人がエゴについて
悪いイメージばかりで
自分に対する愛から生まれる欲望までを
排除しているかもしれません

エゴと真正面から向き合うことなく
人間の真の成熟がありえるのか?

エゴは自分を守る自我として
大事な役割を果たしているのです

自我が弱すぎても強すぎても
バランスは崩れるかもしれません

いったん形成された自我も
歳を重ねるにつれ
柔軟性を帯びてくる必要があります
 
だから私は
あえてエゴつまり未熟な自我について注目し
自分を喜ばせる欲望にも耳を傾けられるような
自我の再構築、自我の成熟
つまり
ネオエゴイズム
を論じてみたいという思いに至りました
 
生まれてきてよかったという喜びと
自分にしかない幸せを感じてから
人生の幕を閉じてほしい
 
人生のどこからでも喜びを思い出せる

誰も追い詰められることなく
それぞれが
美しいエネルギーを放つ世の中を見てみたい
 
そんな私の欲望も満たしていけるような
番組に育っていったらいいなと思います
 
さて、あなたの中の
ネオエゴイズム
もう目を覚ましましたか?

見失った自分を探しにエゴの森へ
入ってみませんか?

あなたの中の美しい欲望
閉じ込めたままにしておきますか?
それとも、、、、