「どうせ自分なんて」と「いや、まだいける」の間で揺れているあなたへ
「どうせ自分なんて」
そうやっていじけたくなる瞬間と、
「いや、まだいける」
どこかで踏みとどまろうとする感覚。
その間で揺れている人は多い。
もう無理だと決めてしまえば楽になる。
期待しなければ傷つかなくて済む。
だからこそ、人は簡単に「どうせ」に逃げる。
でも、それで終われない自分もいる。
本当に何もなければ、
とっくにあきらめているはずだからだ。
揺れているということは、
まだどこかで、自分の可能性を知っている。
「いじける気持ち」と「諦められない気持ち」が同時にあるのは、
矛盾ではなく、むしろ自然なことだ。
いじける側は、これまでの失敗や傷を見ている。
もう一方は、まだ使い切っていない自分を感じている。
実は、どちらも嘘ではない。
ただ、多くの人は
いじける方にだけリアリティを感じてしまう。
過去に証拠があるからだ。
一方で、
「まだいける」という感覚には、
明確な証拠がない。
だから軽く扱ってしまう。
でも、その感覚は、
単なる願望ではない。
自分の中に、
確かに何かがあるからこそ湧いている。
ほんの一部でもいい。
人より少しだけうまくできたこと。
なぜか自然にできてしまうこと。
評価されなくても、やれてしまうこと。
そこに、すでに自信の芽はある。
ただそれを、
「大したことない」と切り捨ててきただけだ。
いじけることで、
自分を守ってきたのかもしれない。
でも同時に、
その守りが、自分の可能性を閉じている。
「どうせ自分なんて」で止まるのか、
「まだいける」に賭けてみるのか。
この選択は、
外の世界が決めるものではない。
自分の中にある、
その小さな確信を、
どこまで信じるかだけだ。
少なくとも、
ここまで揺れている時点で、
まだ終わっていない。