見て見ぬふりをやめるなら、ここから始まる

  
\ この記事を共有 /
見て見ぬふりをやめるなら、ここから始まる

「なんとなく苦しい」
「なんとなくズレている」
「このままでいい気がしない」
その感覚を、
“気のせい”として処理し続けていないか。
本当は、ずっと前から気づいていた。
でも、真正面から見ると、
今までの自分が崩れそうで怖かった。
だから人は、
違和感を感じても、
忙しさや理屈や正しさで上塗りする。
「考えすぎだろう」
「みんな我慢してる」
「自分が未熟なだけかもしれない」
そうやって、
感覚を打ち消していく。
けれど、
違和感というのは、
敵ではない。
むしろ、
“本来の自分”が残している痕跡に近い。
違和感があるということは、
まだ感覚が死んでいないということでもある。

本当に苦しいのは、
違和感そのものではない。
違和感を感じながら、
見ないふりを続けることだ。
自分をごまかし続けることは、
想像以上にエネルギーを使う。
表面上はうまくやれていても、
どこか疲れる。
どこか満たされない。
どこか力が出ない。
それは、
自分の中で分裂が起きているからだ。
本音と建前。
感覚と理屈。
やりたいことと、やるべきこと。
そのズレを抱えたまま、
人は長くは走れない。

違和感を放置しなくなったとき、
新しい自分への再構築が始まる。
最初は少し怖い。
認めたくなかったこと。
避けていた感情。
本当は嫌だったこと。
そういうものが浮かび上がってくるから。
でも、不思議なことに、
真正面から向き合い始めると、
違和感は少しずつ形を変えていく。
ぼんやりした苦しさだったものが、
「だから苦しかったのか」という納得感に変わっていく。
不快感や違和感を徹底的に掘り下げれば、
快感や納得感に変わることがある。
逆に、中途半端に扱うと、
同じことを何度も繰り返す。
だから必要なのは、
自分を責めることではない。
ちゃんと見ること。
「本当はどう感じているのか?」
「何が引っかかっているのか?」
「何をごまかしてきたのか?」
そこに関心を向けること。

もちろん、
違和感を抱えたまま生き抜くこともできる。
それも間違いではない。
人には人のタイミングがある。
まだ見ないことで守られている部分もある。
無理やり剥がせばいいわけではない。
ただ、
もし今、
「もうごまかしたくない」
「ちゃんと生きたい」
「このまま終わりたくない」
そんな気持ちが少しでもあるなら、
そこが入口になる。
少しの勇気は必要だ。
でも、その先は、
案外らくになる。
ずっと緊張しながら、
自分を監視し続けなくてよくなるから。
本当の意味での力は、
無理をしている時ではなく、
ズレが減った時に出始める。
力みなく、解放された状態で、精神エネルギーを最も効率よく放てるようになる。

見て見ぬふりをやめる。
それは、
劇的に人生を変えることではない。
むしろ逆だ。
置き去りにしてきた自分を、
少しずつ回収していく作業に近い。
本当の自分は、
どこか遠くにいるわけではない。
ただ、
見られていなかっただけなのかもしれない。

「見て見ぬふり」を続けている限り、
人生は大きくは変わらない。
でも逆に言えば、
見て見ぬふりをやめた瞬間から、
人は静かに変わり始める。

コメント

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

© 2026 Etsuko Utani