宇谷悦子の公式ホームページ

他人に振り回されてばかりの毎日を変えたいあなたへ

    
\ この記事を共有 /
他人に振り回されてばかりの毎日を変えたいあなたへ

「わかってほしい」が止まらないとき

誰かのひとことに傷つき、

誰かの無関心に腹が立つ。

頭では「仕方ない」と思っていても、心がざわついてしまう。

他人の言動に振り回されるこの感覚は、

ある“心の構造”が関係しているのかもしれません。

これは、ある若い女性と、その悩みを静かに見つめる年上の女性との

「精神的な自立」についての対話記録です。

「私ばっかり!」と訴える“わたし”

「なんで私ばっかり、こんなに仕事を抱えなきゃいけないんですか!」

その女性は、仕事の多さや人間関係への不満を口にしながら、

苛立ちと焦りを抱えていた。

対話の相手である先生は、落ち着いた口調でたずねる。

—「あなたは、何にいちばん腹を立てているの?」

—「先輩たちが全然動かないことです。

 こっちは休日も気が抜けないのに、平気で楽しそうにしてるんですよ」

—「その状況を、どう変えたいと思ってるの?」

—「少しくらい手伝ってほしいって思うのは当然じゃないですか?」

偽りの自立

先生は、しばらく黙ってからこう言った。

—「あなたは頑張ってるわ。

 でも、心のどこかで“誰かが察してくれるべき”って思っていない?」

—「それは、“依存”の一種よ」

—「えっ、依存って……?」

—「精神的に自立している人は、他者の行動に過度な期待をしないの。

 でも、“わかってほしい”“動いてほしい”が強くなると、

 その期待が裏切られたときに、苦しさが爆発してしまう」

「赤ちゃん的コントロール」から抜け出すということ

先生は、やわらかく、しかし核心を突いていく。

—「たとえば、赤ちゃんはお腹がすいたり、不快だったりすると泣くでしょう?

 あれは、“わたしの不快をなんとかして”というサインよね」

—「それが許されるのは、自他の境界がまだ未発達だから。

 でも、大人になってもその“感覚”を無意識に引きずっていると、

 他人が動いてくれないことに怒りを感じるようになる」

—「つまり、相手をコントロールしようとしている状態なの」

精神的な自立とは

—「精神的に自立するっていうのは、

 他人を動かそうとするのではなく、

 “自分の感じ方と行動”に意識を向けること」

—「『自分をコントロールすることはできるけれど、

 他人を変えることはできない』と腑に落ちたとき、

 はじめて内側に自由が生まれるの」

その静かな言葉に、“わたし”の表情がすこし揺れる。

解毒の始まり

先生は続ける。

—「この構造に気づかないままでいると、

 人間関係のなかで、常に“わかってほしい”を追い続けてしまう」

—「私はこれを、“愛毒”と呼んでいるの。

 愛されたい気持ちが強すぎて、自分を見失っていく状態」

—「でも、解毒はできる。

 他人に期待する代わりに、自分に還ることで」

“わたし”の決意

しばらく黙っていた“わたし”が、ぽつりとつぶやく。

—「……たしかに、ずっと“わかってよ”って心の中で叫んでたかもしれない」

—「でももう、そこから抜け出したいです。

 他人を責めるより、自分の人生をちゃんと選びたい」

先生はゆっくりとうなずいた。

まとめ:愛毒を解毒するということ

外側からは自立しているように見えても、

内側で“他者に満たしてほしい”という気持ちがくすぶっている限り、

わたしたちは自由にはなれません。

精神的な自立とは、

「わたしを生きる」と決めること。

それは同時に、他者をコントロールしないという

“成熟した愛”のはじまりでもあります。

🔗 続きはこちら

この記事で触れた「愛毒」について、

より深く掘り下げた小冊子をnoteで公開しています。

『愛毒――才能を殺したやさしさの正体』

・なぜ、優しさが人を壊すのか

・“察してほしい”という中毒から抜け出すには?

・本来の才能を取り戻すための「解毒」のプロセス

そっと自分に向き合いたい方に、手渡したい一冊です。

👉 https://note.com/cute_fish8833/n/n16a7cb35949c

S