2019
07.03

病気になっても前向きになるとっておきの方法とは?

精神, 自己成長

病気になると、
苦痛な症状もありますし、
誰でも心細くなるものですよね。

けれど、そんな時こそ、
自分の本当の気持ちに気づく,
チャンスなのです。

その方法について,
お話ししてみたいと思いますので、
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

忙しすぎて、自分のやりたいことセンサーが鈍っていた頃

その当時、
私は民間精神病院の常勤医として、
働き始めたばかりでした。

それまでの大学病院と違って、
受け持つ患者の数がぐんと増えました。

しかも、同僚の医師が急に退職し、
後期高齢者の老医者2人と私で、
その病院の臨床業務を、
一手に担っていたのです。

入院患者さんは60名担当していましたし、
週2回の外来では午前中だけで、
50人診ていました。

毎週のように新患の初診、
入院患者さんの受け入れもあります。

不思議と、あまりストレスは感じず、
とにかく目の前の患者さんの治療に、
没頭していました。

余計なことを考える余裕はありません。

子供がまだ保育園通いで幼く、
自宅に帰っても、
家事に育児に大忙しです。

自分の好きなことをする時間なんて、
1秒もありませんでした。

小さい頃からいつもそばにあった、
音楽のことも忘れ、
髪を振り乱し、ヨレヨレの服を着て、
一心不乱に日々の仕事、生活に追われてました。

でも、表面上は平気でした。
それが当たり前になり、
ストレスを感じる感覚ですら、
麻痺していたのです。

ましてや、自分の好きなことや、
やりたいことなど、
考えもしませんでした。

博士号を取らないといけないと思い込み、大学院に入ろうとした

感覚が麻痺していたからなのか、
わかりませんが、ちょうどその頃、
なんとなく、同調圧力的なものに流されて、
そろそろ博士号取らなきゃ、
と思い始めました。

あの人が取っているんだから、
私だってという、
ちっぽけで浅はかな見栄やプライドも、
あったかもしれません。

元々、ウイルスや免疫の研究に興味があって、
医学部を目指しましたし、
大学院も、留学もと望んでいました。

しかし、医者になってすぐに、
自分は、向かないことに気がつきました。

それより、患者さんと向き合い、
治療していくことの方が、
向いていると思いました。

なので、がっつり研究者になるつもりは、
ありませんでしたが、
なぜか、好きでもないやりたくないことを、
やらなきゃと思い込み、
時間とお金と労力を、
注ぎ込もうとしていたわけです。

試験の直前に、脳炎で緊急入院してしまう

大学院入試の試験の申し込み、
試験代金の支払いを済ませ、
教授のところへ挨拶に行きました。

しかし、その頃から私は、
めまいや、カルテを書いていても焦点が合わない、
まっすぐ歩いているつもりでも斜めに歩く、
などがみられるようになりました。

そうなってようやく、
さすがに疲れてるな、
と思い始めていました。

その矢先、いつも通り、
手作りの粗末な弁当を食べると、
全く味がしないのです。

さすがの私も、
ここまで味付けの失敗は、
しないだろうと思い、
味覚が変だと気付きました。

急いで色々神経障害の簡易テストを、
自分ですると、
異常な兆候が出ており、
大体病変の場所がわかりました。

しかし、急性の経過ではないから、
腫瘍か、炎症だろうと思い、
段取りをして翌日病院に行くことにしたのです。

しかし、翌日は、
もっと症状が進行して、
車の運転も危うくなってました。

検査の結果、
やはり脳炎の診断で、
緊急入院することになりました。

大学院試験の3日前でした。

死や後遺症を意識し、思わずにはいられなかったこと

主治医からの説明で、
「よかったですね、難病だったら、
治療費はかかりませんよ」
と言われ、ショックを受けました。

医者同士のジョークとは言え、
その時の私は、絶望していたので、
トドメを刺された気持ちでした。

すぐにステロイドパルスという、
強い治療が始まり、
医者がゆえに余計な知識があることで、
万が一の事態を色々想定しました。

いきなりほっぽり出した、
患者さん達のこと、
家族のことを、
思わずにはいられませんでした。

そして、死や後遺症を強く意識した瞬間
「なんでもっと、
自分の好きなことをしなかったんだろう?
もっと音楽をしたかったし、
バレエもしたかったし、
猫も飼いたかったし、
色々やっとけばよかった」
という思いが、わーっとこみ上げてきました。

よく考えたら、
大学院や博士号なんか、
どうでもよかったのです。

それよりもっと、
自分の本心、
本能からやりたいことがあったのに、
と後悔しました。

もし、元気になったら、
音楽とバレエは再開するし、
猫も飼おう、
そう強く思いました。

日々雑用に追われると、自分の本心を見失ってしまう

多分、病気になったことで、
一切の雑用から解放され、
おまけに、体も脳も、
生命維持が最優先で、
理性や知性などの余計な活動が、
抑制され、
本能が研ぎ澄まされたのでしょう。

まだ、やりたいこと、
やり残したことがたくさんあった!
と気付き、
私は、
生きてやる、生きてやると念じながら、
味のしない食事を無理やり食べました。

よくならないかもしれない、
不安や恐怖と戦いながら、
感情も揺れに揺れながらも、
治療に集中しました。

思ったより、速やかに改善し、
主治医も今回だけでは、
難病指定にはならないといい、
私は退院し自宅に戻りました。

不思議なことに、
それまでの自分と違う自分になったのか、
自宅の雰囲気に、
違和感を感じました。

なんか、余計なものが、
多すぎる、あふれている、
そう感じたのです。

自分の人生に必要なものなんか、
そんなに多くないのに。

自分が心から好きなものだけでいいのに。

なんで、あんなに、
余計な、不必要なものに、
執着して、かき集めていたんだっけ?

病気になったことで、
無駄で余計なものが、
そぎ落とされたと感じた瞬間でした。

究極生きているだけでいいんだった。

ただ生きているだけでも、
私は許されるんだった。

だから、生きている限りは、
自分の本心、本能を、
大事に生きて行こう、
そう心に決めました。

わざと病気にならなくても、死や後遺症をリアルに想像してみる

その時の私は、
生命維持が優先になっていることで、
余計な知性や理性や感情や思考などの、
人間だけに著しく発達してしまった部分が、
抑制され、本能やいわゆる直感が、
優位になっていたのだと思うのです。

人間は、進化とともに、
前頭葉が発達し、
脳の表面が発達していたためか、
本能を司る脳の中心や下の部分から、
遠く離れて行きました。

けれど、やはり、
生命的な危機に陥った時には、
進化によって発達した部分は、
抑制され、
もっと原始的な部分が、
目覚めるような気がするのです。

そこにいわゆる、
直感とか、本能とかがあって、
危機迫る時には、
力を発揮したのかもしれません。

けど、それを呼び覚ますために、
わざわざ危ない目にあったり、
病気になることは難しいですよね。

いや、むしろ、
そんなことをしてはいけません。

できることといったら、
やはり、そういう状況をリアルに、
ありありと想像してみることでしょうか?

けど、それですら、嫌だし、怖いですよね。

苦痛や苦悩は伴わないとして、
次の瞬間、
ふっと自分がこの世から、
消えてしまうとしたら、
何をしたいでしょうか?

もしくは、何をしなかったことを、
後悔するでしょうか?

自分が今やっていることは、
命や健康と引き換えにしても、
やりたいことでしょうか?

体裁などによる同調圧力で、
やっていることでしょうか?

それとも、虚栄心や見栄などの、
ちっぽけなプライドで、
やっていることでしょうか?

そういうものは、いざとい時には、
自分を救ってくれません。

本当の自分をごまかしているに、
過ぎないからです。

やっとけばよかったことが見えてくる

そうは言っても、
私が緊急入院した時のように、
今の現実を全てほっぽり出して、
本能や直感を研ぎ澄ますことは、
なかなか難しいですよね。

私も特に理由なく、
今すぐに同じことをやれと言われても、
躊躇します。

けれど、危なくない範囲で、
完全に、数日間でも、
1人旅をしてみる、とかならできるかもしれません。

1人だと、
自分で自分の身を、
守らないといけないので、
いつもよりは、
少しだけ本能や直感が、
目覚めるかもしれませんよね。

ちなみに、私は、
3ヶ月間自宅で寝込んでましたが、
回復しきらないうちから、
ピアノを買って習い始め、
バレエも再開し、
猫も飼いました。

とりあえず、
死を強く意識した時に、
思い浮かんだ3つのことは、
やり始めたのです。

なんか、内容は大したことなくて、
恥ずかしい限りですが、
それが私の本質なので、
しょうがないですよね。

あとは、無駄な物があふれていると、
直感的に感じたので、
物の処分や片付けを始めました。

そこから、
人生のいろんなことが、
気になり始めて、
それまでの自分のあり方と、
変わってきました。

読書嫌いが読書好きになり、
毛嫌いしていた啓発本を、
読み漁るようになり、
人生の目的を真剣に、
考えるようになっていったのです。

思えばその頃の私は、
厄年でもありました。

迷信や言い伝えには、
必ず科学的根拠があると、
私は信じていますが、
女性であれば、その年齢の頃、
体調を崩しやすいのは、
昔から多くみられたのかもしれません。

そしてそれは、
今までのあり方を見直し、
よりよく生きていくための、
儀式であり、
試練と捉えられたのかもしれません。

人間だけが進化しすぎた、
脳の機能である、
知性や理性や感情や思考を、
使いすぎていると、
私みたいに脳がショートを、
起こすかもしれません。

退化する必要はないですが、
この先、ますますそういう部分が、
進化していった時、
人間の脳に、
どんなことが起こるのか?

直感や本能は、
ますます退化していくのか?

今では、すっかり、
目に見えない世界の方に、
興味が出てきてしまいました。

理論武装や、頭でっかちは、
脱ぎ捨てて、
本能を研ぎ澄ましてみる旅に
出てみませんか?

まとめ

いかがでしたでしょうか?

病気を機に、
確実に自分の人生は変わっていきました。

「がむしゃら」から「俯瞰」
という感じでしょうか?

病気にはなるべくなりたくないけど、
大事なことに気づくきっかけにはなったので、
今は感謝しています。

自分の内なる何かが、
人生の目的と違う方向に行こうとした時に、
病気や体調不良という方法で、
そっちに行ってはダメだと、
示すことがあるのかもしれないですね。

魂ならぬ遺伝子の叫びでしょうか?

ストレスと思わないほどの、
ストレスを溜め込むと、
やはり生物学的な均衡が、
崩れるでしょうし、
遺伝子レベルで何か、
必死にサインを出すように、
うごめいているのかもしれませんよね。

人間の体は、神秘的ですね。

なるべく病気にはなりたくないけど、
病気に助けられることもあると、
実感しました。

だから、これからは、
あまり病気を、忌み嫌わないように、
恐れないようにしようと思います。

病気になっていて辛い方や、
病気が怖い方は、
よかったら参考にしてみてくださいね。