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人生に情熱を取り戻すために必要なエゴとは?

    
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人生に情熱を取り戻すために必要なエゴとは?

今回は文芸作品の解釈です

作品は

梶井基次郎 『桜の樹の下には』

美しい生命が輝く裏に潜むもの。

これを知ると、
自分の心の奥底に秘める欲望が目を覚まします。

あなたの知性と感性に
エクスタシーを感じてもらえますように。

作品はこちらから↓

https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html

(青空文庫さんありがとうございます)

死を意識することで加速する精神熟成

作者の基次郎さんはなぜこんなことを考えたのか?

ただ純粋に満開の桜の花を美しいと
愛でれば良いものを
死体が埋まっているなどと、、、

実は基次郎さんこの作品を書いた時、
持病の結核がいよいよ悪化してきていて、
4年後、31歳の若さで亡くなっているんですよね。

つまり死期を強く意識していた。

結核の進行が始まった頃には
一旦文学から離れ、
エンジニアや理科の先生になるという、
現実的な目標に立ち帰ろうとしていました。

しかし

「天職を見出せない男の悲哀は、何によって希望を見出していくことができるのか?」

自分深いところから湧き上がる欲求、
つまり天命というものに従わず、
ごまかして他のことをしていても心が空虚なままだ!

ということに気づいたのでしょう。

結局は創作への欲望を止めることができず、
文学の道に突き進んでいくわけです。

創作における主観と表現の関係を模索し、
主観の深さと表現の美しさについて
考察し始めたのもこのころです。

表現の美しさばかりを追い求めるのではなく、
主観の深さつまり自己を深めていくことの
重要さに気づいたのかもしれません。

表現の美しさばかりに気を取られていたら、
どんどん薄っぺらいものになっていきますから、、、

表現スキルはあくまで自己の内面と外界をつなぐ
コミュニケーションツールであり、
生み出す根源はやはり主観の深さ
つまり自己の内面からなのです。

このように死を強く意識することで、
精神的な成熟が加速されることがあります。

古来からある儀式などもそうですよね。

擬似的な臨死体験によって、
精神の成長を無理やり促進する。

一歩間違えば精神の崩壊起こしそうですが、
強制的に自分の未熟さや醜さと対峙することで、
自分がわかってくることもあるのです。

現代においては、野蛮なやり方で、
無理矢理促進するのはいかがかと思いますが、
意図せずそうなってしまうことはあると思います。

最後の最後に自分を信じられるか

絶望した時、死を意識した時、精神のどん底に落ちていく。

その時に自分を保てるかどうか?

自我が試されるのです。

自分は大丈夫だと自分を信じて
そこから戻ってこれるかどうか。

いよいよ結核が進行し、焦っていた基次郎さんは、
毎晩寝床で

「お前は天才だぞ」

と3度繰り返し自分に暗示をかけていたそうです。

今で言うアファメーションでしょうか?

くじけてしまいそうになる自分と
必死に戦っていたのでしょうね。

それがまた創作のエネルギーになっていたのでしょう。

そしてなりふり構わず、
作家仲間たちに作品を託し始めます。

その一人、川端康成の手紙では

「梶井くんは底知れないほど人の良い気質と懐かしく深い人柄を持っている。植物や動物の頓狂な話を、私によく同君と取り交わした。青空の同人たちも入れ替わり立ち代わり梶井くんの見舞いに来て私はその皆に会った。」

と記されています。

懐かしく深い人柄に集約されていますよね。

つまり頭脳明晰でありながら太古的で、
本能的な感性も兼ね備えている。

そんな人柄や情熱に感化され、
仲間たちがなんとか基次郎さんの作品を
世に出したいと奔走したのです。

しかし文壇で認め始められたのは死ぬ直前からのことで、
その真価が本格的に高まり、
独特な地位を得たのは死後のことでした。

真理は後世まで語り継がれてゆく

歩みは死によって途絶えてしまいましたが、
時が経つとともに徐々にその真価が認められたのです。

真理を捉えた作品というのは、
時間経過とともに色褪せずむしろ力を増していくものですね。

自らの作品を借り物の意匠で飾らず
自分の内から湧き起こってくる
表現の欲求にあくまで忠実であろうとした

大きな社会の営みから見れば全く取るに足らない

そして一人の人間の人生にとっても
ほとんど意味を持たない微妙な気分の変化や意識の現象を
言葉に定着することに梶井は腐心した

それらは書かなければ雲散霧消してしまうものでしかなく
そうであるがゆえに書くことによって初めて
客観的な形を与えられるものであった

などと評されました

つまり誰かのまねやコピーでなく
あくまで自分の内側から沸き起こるものを
表現しようとしていたことに価値が見出されたんですよね

生前に認められなくても、
自分の深いところから湧き上がってくる欲望に従い
情熱的に作品をはい続けられたこと自体が
基次郎さんは幸せだったんじゃないかと思います

その過程で起こる苦悩も含めての幸せです

評価を得る為に生み出し続けたのではない

陳腐な承認欲求よりは、
真の自己実現欲求を選んだのでしょう

それには相当な覚悟もあったと思います

目の前にある、
簡単に手に入るものの誘惑に弱いものですから

生きている間に、作品に触れた人たちと
心の交流は感じたかった
という思いはどこかにあったかもしれませんが、、、

このような作者の背景もあり、
死という免れない残酷な事実を真に意識した時、
何か生み出したい命の火を燃やした

そんな情熱をこの文章から強く感じました

この時の自分の姿を
桜の木に投影つまり映し出したのかもしれません

生命が美しく輝くためには
その周囲にある残酷な現実や事実も
受け入れなければならない

それを無視して美の表面だけを愛でることは
何だか卑怯で違和感を覚える

そういう感覚わからないでもありません

分からない時が一番辛い

作品に戻って少し読み解いてみましょう

>桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか
>俺はの美しさが信じられないのでこの二三日不安だった

美しさを疑うだけじゃなく、
不安にまでなっているんですよね

不安の大元を辿っていくと、
死の恐怖だったりしますので
何かそういうものを感覚的に感じ取ってはいたけど
まだ言語化には至らなかった

恐れの正体がはっきりしない時って、
漠然とした不安になるんですよね

何に苦しんでるか分からない時が
一番辛いので

>どうして俺が毎晩家帰ってくる道で俺の部屋の数ある道具のうちの、よりによってちっぽけな薄っぺらいもの、安全カミソリの刃なんぞが千里眼のように思い浮かんでくるのか

これはどうでもいいですけど
なぜカミソリじゃなく安全カミソリにしたんですかね?

カミソリは危険なもので死や破壊を連想させる

それにわざわざ安全をつけた意図がよくわからない

まあここはあまり深読みしない方が
いいかもしれませんね

桜の花の美しさに抱く不安の正体が
少しずつわかってきたんでしょう

>いわゆる真っ盛りという状態に達すると辺りの空気の中へ一種神秘な雰囲気をまき散らすものだ
>灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ
>それは人の心を打たずにはおかない

不思議な生き生きとした神秘な雰囲気というものが
どういうことから生み出されるのか?

神秘な雰囲気欲しいですよね
灼熱した生殖って、つまりエロスのことですよね

色気とも言いましょうか

何かを生み出そうとするエネルギーってすごいですね

>俺の心をひどく陰気にしたのもそれなのだ
>俺にはその美しさが何か信じられないもののような気がした
>俺は反対に不安になり憂鬱になり空虚な気持ちになった

美しさの背後に潜む受け入れがたい何かを感じ取っていたのでしょう

不安、憂鬱、空虚、
なんだかネガティブばっかりですよね

ネガティブ三昧

受け入れ難い現実に向き合えない時、
このような感情が湧いて来やすいですよね

>俺は今ようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ
>昨日おととい俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ

瞳を据えてというのが、
直面する覚悟、勇気みたいに感じられますね

最後には死を迎えるという残酷な事実を受け入れて初めて、
生きようとして生み出されるものが美しく際立つ

そういうからくりに気づいたのでしょう

正体がわかったら、
もう不安じゃなくなるんですよね

あーそっかそっかそういうことかっていう感覚

神秘から自由になるって、
つまり得体が知れないものを
そのままなんとなく感じることではなく
自分の感覚として理解するってことなんでしょうね。

腑に落ちるとか、すっきりする。

残忍な自分も認める

>墓場を暴いて死体を好む変質者のような残忍な喜びを俺はありました
ただそれだけでは朦朧として慎重に過ぎない俺には惨劇が必要なんだ
その平衡があって初めて俺の身長は明確になってくる
俺の心は悪鬼のように乾いている
俺の心に憂鬱が完成する時ばかり俺の心は和んでくる

残忍な喜びあたかも死を喜ぶような
そんな自分をとがめずに認めているんですよね。

死という残酷な事実を
何となくごまかして回避するよりも
はっきりと真正面から受け止めて
憂鬱さも存分に感じて感じ切って
それからようやく平穏が訪れる。

変態といえば変態ですけれども、
それで良いのだと思います。

人間って所詮残忍なのですから。

進化とともに、
ここまでお利口さんになったんですけど
元々は野蛮だったわけですよね。

遺伝子のどこかにその過去の情報が
刻まれているんだと思います。

自分にもし残忍さを感じたとしても、
それに罪悪感を持ちすぎないことが大事です。

それを抑圧しすぎたら、
逆に無意識に残忍さや冷酷さが出てきます。

そうすると本末転倒になりますね。

>冷や汗が出るのかそれは俺も同じことだ
>何もそれを不愉快があることはね
>ベタベタとまるで精液のようだと思ってごらん
>それで俺たちの憂鬱は完成する

死を喜ぶ残忍さが自分の中にあると気付いた時
心がざわつくけれどもそれが自然なことなんだ。

死に対する不安と同時に生の喜びを感じる。

人間の永遠の憂鬱の完成、万歳!

>いったいどこから浮かんできた空想か
>さっぱり見当のつかない死体が今はまるで桜の木とひとつになって
どんなに頭を振っても離れて行こうとはしない

生と死が頭の中で繋がった。

手放しでは美しさを喜べなかった。

どこから浮かんできたかわからない空想って
実は真実だったりするんですよね。

私もよく空想するんですが
どこから来たのかわからないやつがたくさんあります。

このようにですね、一つの事象に感じた違和感
なんとなく違うなんとなく気持ち悪いというか
そういう違和感からどれだけのことが洞察できるか?

それにはもちろん空想力も必要なのかもしれません。

>今こそ俺はあの桜の木下で主演を開いている村人たちと同じ権利で花見の酒が飲めそうな気がする

同じ権利で。

村人たちは分かった上で
桜の花を愛でているのでしょうか?

それとも自分自身が心から美しいと
思えるようになったからということでしょうか?

満開の桜の美しさを疑ったままでは
村人たちと同じような気分では
花見の酒が飲めない。

と思ったのでしょうね。

満開の桜の花から
感じ取っていたモヤモヤとした気持ちを
ここまで掘り下げることができるなんて
すごいですよね!

生の先に繋がる死を連想できた時
またそれがゆえに生が燃えるように美しく
神秘的に輝く姿に納得できた時
その時の自分の状態を満開の桜に投影したのでしょう。

死を意識する前に自分の欲望を認めたっていい

こうやって生み出した作品は、
後世の私達の心にも振動を与え続けます。

音楽もそうなんですが、実際に音に出すと、
文章だと朗読してみると
作者の精神の振動がより味わえますね。

ところで皆さんは死ぬ思いしたことありますか?

私は今までの人生で何回かあったんですよね。

妹が生まれた時に車に轢かれそうになった時。

タイに一人で旅行中に民家に連れて行かれて騙されそうになった時。

後は脳炎になった時。

いつも、その後自分という存在を
強く意識するきっかけになったような気がします。

いつか死ぬという残酷な事実から
目を背けずに受け入れて初めて
本気で生きようと思えるのかもしれません。

考えてみれば人間って
死ぬために生まれてくるようなものですからね。

生きる欲求もあれば死ぬ欲求もあるはずです。

エロスとタナトス。

自分の大切な限りある人生。

自分を喜ばせるための欲望を無視し続けていいのでしょうか?

人間が熟してくると、
若い時の肉欲的な快感より
精神活動としての生殖活動欲求が強まり
自己表現や創作に欲求が移っていきます。

本能的な生殖欲求として
異性を惹きつけるために使っていた
肉欲的なエロスは
年齢とともに人間的な深みが魅力を増すために
何かを生み出そうとして利用する
精神的なエロスへと変化していくと思います。

魂の性感帯が刺激されるとでも言いましょうか。

特別に死を強く意識する経験がなくても
誰でも40歳くらいからは
人間のライフサイクル的に
自然に肉体の衰えを感じ始め死を意識し始めます。

今は、もう少し遅くなってるような気がしますが
何歳からでも精神の成熟に目覚めることはできます。

そういう変容を抵抗せずに自然なものと
受け入れることができるかどうか。

それが大事なんだと、
患者さんたちを振り返ってもそう思います。

肉体が衰えても精神的な成熟はむしろ加速する。

ちなみに古典的なうつ病やアルコール依存症は
実は四十歳以降が好発年齢でした。

興味や喜びを失うことがうつの中心症状ですが
自分を喜ばせる欲望を無視し続けると
そのような精神の不調も
引き起こしかねないんですよね。

しかも体寿命はどんどん伸びてしまった。

精神活動をいかに充実させて成熟させながら
死に向かっていくかが
いつの時代にも共通する
人間に課せられた難題なのかもしれません。

魂の快感に近い幸せとは何か?

この作品を通じて改めて考えさせられました。

苦楽を含めて心の深いところから快感を得られる
地に足のついた自己実現。

あなたも目覚めてみませんか?

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