自分だけでなく誰かを喜ばせるマインドになるために大切な方法とは?
みなさんは、誰かを喜ばせたいと
思ったことはありますか?
え?そんなの当たり前じゃん?
そうですよね。
多くの人は、誰かを喜ばそうと思って、
生きているのかもしれません。
私も、そう思い込んでいました。
しかし、ある時、
自分は自分を喜ばせることしか
考えてないかもしれないことに気づきました。
それに気づいた時、
本当に誰かを喜ばせるということは、
どういうことか?ということに、
気づき始めました。
今回はそのことについて、
お話ししてみたいと思います。
ご興味があれば、どうぞ
最後までお付き合いくださいませ。
母、偉そうに息子を諭す
年頃の息子は、最近、
スマホにイヤホンで、
何か若者らしい音楽を、
ノリノリで聞いています。
そして、ある日、
息子は大声で聞こえよがしに
独り言を呟きました。
あー1人でカラオケ行きてー!
息子
あーお母さんも、今、ちょうどカラオケ行きたいと思ってたんだよー!父ちゃん飲み会でいないから、2人で行こう行こう。
私
はあー?なんでお母さんと2人で行かないといけないんだよ。
息子
え?ついこの間まで、喜んで行ってくれたのに、、、どうしたの?変な物でも食べた?
私
何言ってんの?当たり前でしょ?なんで中学生にもなってお母さんと2人でカラオケに行かないといけないの?誰かに見られたら、俺、マジ、勘弁だし。
息子
くー。一体誰が乳飲ませたと思ってんだ。まあ、良かろう。ここまで、よく育った証拠だ。じゃあ、今度友達と行けば?
私
やだよ。それも恥ずかしい。
息子
じゃあ、1人で行けば?
私
そ、それは、ちょっと怖いかも。それに中学生が1人でカラオケは行っちゃダメでしょ?
息子
じゃあ、お母さんと2人で行って、時間差で別々に入ろうよ。なんか、芸能人の不倫現場みたい、うふふ。
私
きもい。もういいわ。あー1人で思う存分歌える方法ないかなー?
息子
けどさ、息子よ、母は最近気付いたのだけれど、1人で歌ってたって、上達しないよ。ある偉い人が言っていたよ。毎日一人カラオケを続けていても、何も起こらないって。
私
は?
息子
人前で歌って、人のためにと思って歌って、喜びを共有しないと、上達しないよ。
私
は?お母さん、何言っちゃってんの?
息子
思春期男子の心性にて反論される
お母さんは、俺の心を全然わかってないなー。
息子
え?
私
俺は今、人を喜ばせることなんかどうでもいいんだよ。
息子
はい?
私
俺はね、とことん、自分の好き勝手に歌いたいだけなの。
息子
はあ。
私
だから、1人がいいんだよ。誰にも何も思われない。喜ぶのは自分だけでいい。
息子
えー?そんなのチョー自己満足じゃん!
私
自己満足の何が悪いの?独りよがりを周りに押し付けるジャイアンよりマシでしょ?
息子
それはそうかもしれないけど、、、
私
だから、俺の自己満足を、邪魔しないで欲しいわけ。
息子
いや、邪魔するつもりはないけどさ、、、
私
あーあ、早く1人でカラオケに行けるような大人になりたいよ。
息子
大人になる頃には、きっとその気持ちも薄れているんだろうな。
私
ん?何か言った?
息子
いや、わかりました。歌いたいけど、人前じゃ恥ずかしい、でもとことん自己満足を極めたい、まさしく思春期男子らしい発言を、どうもありがとうございました。大変参考になりました。
私
ま、わかってくれたらいいんだよ。
息子
はあーどんどん生意気になっていく。一旦自己愛がこうやって肥大するんだなー。
私
母、思春期男子の言い分に妙に納得する
しかし、私は、息子の言葉に、
妙に納得してしまいました。
「自己満足をとことんやる」
確かに、自己を満足させてないのに、
他の誰かを満足させることなんて、
できないのかもしれない。
息子は、若者の音楽に目覚めたばかりで、
今は、それを誰かと共有するというより、
1人で楽しみたい時期なんだ。
自分で感じられる喜びを、
独り占めしたい時期なんだ。
それをとことんやって、
自信がついてきたら、
もしかしたら少しずつ人前で披露したい欲が、
芽生えてくるのかもしれない。
自分が大好き、
自分が本当は一番すごい、
けどそれを出すのは恥ずかしいし、
けなされて傷付きたくない。
だから、今は自己満足でいいから
とことんやる。
思春期男子の言い分に、
妙に納得してしまいました。
そう言えば私もそうだった
そうやって、自分の歩んできた道を
思い返してみると、
私も相当おめでたい自己満足を、
たくさんしてきたことに気づきました笑
最近でこそ、
「for you」とか「利他」の心とか「徳積み」とか
意識するようになりましたが、
それまでは、誰かを喜ばせることなんて、
てんで無頓着で、
自分を喜ばせることばかり考えてきました。
そんな、自分に愕然として、
魔女医の元に相談に行きました。
とことん自己満足をやらないと辿りつかない
魔女医ー!私、息子を偉そうに諭そうとしたら、返り討ちにあったんですよ。
私
ふーん。また?
魔女医
奴はどんどん口が立つようになってます。もう無理です。
私
今回は、何についてなのよ?一体。
魔女医
誰かと喜びを共有することなんか、どうでもよくて、まずはとことん自己満足をさせろというんですよ。
私
そりゃそうでしょ。
魔女医
へ?
私
それは、息子君の言うことが正しいわよ。
魔女医
えー!だって、自己満足や自己流だけでは、誰とも喜びが共有できないって、聞きましたけど。
私
最初からそんな境地になれる人なんか、いるのかしら?いたとしても、一握りよ。
魔女医
た、たしかに。
私
誰でも、自己満足、独りよがりを、気の済むまでやらないと、次のステップには進めないわよ。
魔女医
きゃー!耳が痛いー!胸が痛むー!でも聞かなきゃー!
私
自己満足だけでは満足できなくなる境地
とことん自己満足をやって、1人で喜ぶだけでは飽きたらなくなるからこそ、人と喜びを共有したくなるものなのよ。
魔女医
でも、魔女医、私、音楽は十分自己満足で満足してますが。
私
それはね、残念ながら才能がないからなのよ。ドーン!
魔女医
ガーン!
私
本当に才能があることはね、その先にある喜びを、探しに行きたくなるものなのよ。
魔女医
その先にある喜び?
私
そう。人と共有できたら、喜びは無限大にもなるからね。
魔女医
そうかー。
私
まあ、すでにとことん自己満足をやり切った感があることの中から、その先の世界が見てみたいものがあれば、ちょっと視点を変えてみたらいいかもね。
魔女医
わ、わかりました。ありがとうございました。
私
自己満足で満足することしないこと
そうして、魔女医から脳天かち割られて、
もしかしたら、今まで人のためにと思って
やってきたことも、
実はまだまだ自己満足の域を
出ていなかったのではないか?
と思い始めました。
じゃあ一体、どうすれば、
自己満足を抜け出せるのか?
いや、むしろ、
自己満足で満足しないものは、
どうしたらいいのか?
確かに、自己満足で満足したものもあるし、
それ以上、追求しなくてもいいかな?
と思えたものもありました。
そして、逆に大事すぎて、
人前にさらすと傷付けられると思い、
秘めているものもありました。
そうやって、自己満足で終わるものと
自己満足では終わらないものがあることに
なんとなく気付いてきました。
こだわりや表面的な意地を捨てれるか?
例えば、文章については、
小さい頃からコンプレックスしか、
ありませんでした。
まず、字が恐ろしく汚い笑
毛筆は習っていたので、思い切り豪快に書いて、
賞が取れるレベルだったのに、
鉛筆では上手に字が書けない。
そんな醜態をさらすのが嫌で、
作文やノートのマスに
字を丁寧に書き込む作業が、
苦痛で苦痛でたまりませんでした。
だから、文章にはプライドも意地もこだわりも、
全くありませんでした。
最近になって、
自分の文章で表現するようになり、
最初こそ、好き勝手に書いてみましたが、
それは、それは、悲惨なことに
すぐにうんざりしました。
はい、つまり、
自己満足にすぐに飽きたのです笑
なので、すぐに、
人を喜ばせる書き方って、
なんなんだろう?という考えに、
切り替えることができました。
自己流を簡単に手放すことが
できたのです。
もちろん、まだまだ追求中ですが、
自分がいいなと思ったことは、
最初は真似でもいいからと、
貪欲に吸収したいと純粋に思えるのです。
しかし、私にとって、
音楽は、そうはいきませんでした。
小さい頃から、好きすぎて、自分の中で、
「100年以上残っている音楽しか聞く価値がない」
など、非常に、とんがったこだわりを、
持ってしまっているのです。
どれだけ、自分1人で喜びを、
独り占めしようとしているんだ!
と我ながら思いますが、
なかなかこだわりを捨てられないのです。
そして、絶対にこう弾く方が面白い、
という妙なプライドを持ってしまっているため、
なかなか修正できないところがあるのです。
もう、一生、音楽は自己満足で終わりだな。
最近は、そういうあきらめの境地に達してます。
それだけ、染み付いてしまった、
こだわりというのは、強いものですね。
それを捨てるより、
そのこだわりとともに生きることを、
選んでしまうのです。
その先に、大きな喜びが、
待っているかもしれないのに。
自分を満足させるためだけに、
こだわっているやり方を、
手放すことができるかどうか?
自分だけでなく、誰かを喜ばせるために、
自分に取り入れた方が良いことを、
一旦素直に自分に取り込めるかどうか?
それができるかできないかで、
その先は全然変わってくるように思うのです。
その先にある本当の喜びを味わう
たまに思います。
私がもし、音楽へのこだわりを、
さっさと捨てることができたなら、
もう少し、マシな音楽を奏でることが、
できていただろうか?
それとも、やはり才能がないから、
そういう考えから抜け出せないのだろうか?
世界の巨匠たちの演奏を聞いていても、
心地よい音楽を奏でてくれる人は、
誰も独りよがりな人はいない。
常に、聞いている人に、
どんな音が届いているか、
細心の注意を払って、
1つ1つの音を作り上げていっている。
それこそが、誰かと喜びを共有しようとする、
プロであるのだと、痛感します。
そして、自分にそれができるのか?
と問われると、
できるきがしません。
私は、まだ、好き勝手に弾いていたい、
エゴに乗っ取られているのです。
幼少期に、音楽については、
とことん自己満足を
やりそびれたのかもしれません笑
いつか、その先にある、
本当の喜びに辿り着くのかどうか、
今はまだわかりませんが、
もう少しとことん自己満足を
やってみようと思います。
一方で、自己満足を卒業して、
その先にある喜びの共有に、
たどり着いてみたいこともでてきました。
文章や教えることについては、
誰かと喜びを共有したいという視点で
自己満足や独りよがりに陥ってないか?
と振り返りつつ修正し、
それまでにない喜びを
味わえるようになってきているところです。
まとめ
いかがでしたか?
誰かと喜びを共有するには、
まずは自己満足をとことんやることが
大事だったんですね。
それをした上で、
自分が何に気付いて、
そこからそのことをどうしていきたいのか?
そのまま喜びを独り占めしたままにするか?
誰かと共有したいのか?
誰かと共有したいと思えた先に
本当の喜びが待っているかもしれないんですよね。
なので、自己満足をとことんやってみるのも
何かに気づくためには、
必要かもしれないという正当化をしてみました笑
もし、これは自己満足かもしれない、
と悩んでいる方がおられたら、
参考にしてみてくださいね。
最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました!