社会的父性が自己表現に及ぼす影響について
誰でも理想の両親像を胸に抱いて
この世に生まれてくる
親も子に期待するかもしれないが
最初に期待を向けるのは
子から親に向かってなのかもしれない
理想の両親像と
現実の両親像のギャップに
欠乏感を抱えたまま
関係が構築されていくものである
もし子供の方に
理想の両親像がなければ
親というのは所詮こんなものか
と最初から受け入れあきらめるだろうが
どこかで何かを期待しているから
愛を感じなかったり
欲求に応えてくれなかったりすると
悲しくなるものである
お互いの素質によって
大なり小なりさまざまだと思うが
親という役割を持っていても
神ではなく人間なので
そのギャップが埋まることは
なかなか難しいものである
そもそも親がいない人もいる
そういう場合どうやってその欠乏感は
満たされていくのか?
思春期を超えて
社会に出て行ってからも
誰かに手放しで認められることで
その欠乏感が埋まっていく
理想を放棄することも大事だが
誰かに手放しで認められる経験が
どれほど自分の力になるか?
石本正と川端康成の関係から
洞察したことを元に論じてみたいと思う
若い時のもがきを経て
やっと手に入れた自分軸であっても
時々不安になることはあるだろう
自分さえ自分を認めていればいい
何度そう言い聞かせても
心のどこかでは
誰かに認めてもらいたい欲求が
捨て切れないかもしれない
自分を信じて
表現活動を続けているけど
果たしてこれでいいのだろうか?
と心細くなるかもしれない
石本正の作品をザーッと眺めていると
あるところから明らかに迫力が増した
戻って解説を読んでみて納得した
50歳ごろのことである
日本芸術大賞を受賞していたのだ
いや何も
その名誉や権威だけが力を与えたのではない
注目すべきは
その時の審査員の一人であった
川端康成が石本正の推薦において
一歩も譲らなかったという点である
実は審査員のもう一人の有力者は
別な画家を推していた
両者一歩も譲らず
揉めに揉めた結果
異例の二人受賞に至ったというのだ
ここからは推測だが
石本正にとって
賞をもらうことはどうでもよかったかもしれない
その証拠に
この賞以降の全ての賞を辞退している
川端康成という文豪から
手放しで自分の作品が認められた
自分に賞を取らせることにおいて
一切妥協せず
周囲の圧力にも屈せず推し続けてくれた
この経験が
芸術家としてその後活動していくことに
どれほどの力を与えただろうか?
自分自身では
自分のことを信じていたけれど
自分以上に
自分のことを手放しで賞賛し
認めて信じてくれた人がいた
これこそが
社会から受ける理想的な父性像なのかもしれない
とさえ思った
そこからの石本画伯の作品は
凄みが増していた
自信と確信が
みなぎっていたのかもしれない
「書きたいイメージがどんどん湧いてきて忙しい」
創造の泉が吹き出し
描いても描いても追いつかないように
感じていたそうだ
人生の旅路で
誰かに一度でもいいから
手放しで無条件に
自分を賞賛し認めてもらえる
しかし、誰でもいいわけではない
自分がこの人から認められたら
誇らしいなあと思える人から認められる
川端康成は自死の3ヶ月前に
アトリエを訪れ
描きかけの裸婦像をみて
「もうすぐ観音菩薩が誕生しますなぁ」
と言い残したそうだ
これほどの賞賛があるだろうか?
誰かから手放しで認められた経験により
得られた自信は
また誰かに自信を与えられる存在に
なるかもしれない
自信の連鎖だ
95歳でその天寿を全うするその日まで
画伯は自分のアトリエで描き続け
30もの未完成の作品が残されていた
最後に展示してあった
未完成の作品からは
ああ、まだまだ描きたかったなあ
というちょっと物足りない気持ちと
生きている間に十分生み出せた
という充足感が入り混じっているような
ちょうどよい幸福感を感じた
労働には限界があるが
表現活動は続けたいだけ続けられる
もがきもあるけど
生み出せることに快感も得られる
平均寿命まで生きようとするなら
時間はまだたくさんある
何も焦ることはない
たった2時間の石本正企画展鑑賞だったが
たくさんのインスピレーションをもらえた
完