「このままでいいのか」と感じている時点で、もうズレている

  
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「このままでいいのか」と感じている時点で、もうズレている

「このままでいいのか」と感じている時点で、
もうすでに、どこかがズレている。
満足している人は、そもそもそんなことを考えない。
疑問が浮かぶということは、
内側で何かが「違う」と言っている。
それでも人は、簡単にそれを飲み込める。
「まあこんなものだろう」
「みんなもこうだし」
「贅沢言ってるだけかもしれない」
そうやって、自分に言い聞かせて、
違和感をなかったことにする。
その方が楽だから。
崩さずに済むから。
けれど、そのまま進んだ先にいる自分は、
どんな顔をしているのか。
どこかでわかっているはずだ。
少しずつ、輪郭がぼやけていく。
何をしても満たされない感覚が残る。
「こんなはずじゃなかった」という感触だけが、静かに積み重なっていく。
違和感は、ただの不満ではない。
自分の中にある、まだ使われていない何かのサインだ。
本来のあり方と、現実に現れている自分とのあいだに
わずかなズレがあるとき、
人はそれを「なんとなくの違和感」として感じる。
そして多くの場合、それは放置される。
はっきりさせるのが怖いから。
はっきりしたら、戻れなくなるから。
でも、本当は逆だ。
中途半端に扱われた違和感は、
何度でも形を変えて現れる。
だから、一度ちゃんと向き合ったほうがいい。
とはいえ、いきなり現実を変える必要はない。
まずやるべきことは、もっと単純だ。
空想すること。
制限を全部外して、
「本当はどうなりたいのか」をイメージしてみる。
現実的かどうかは一旦どうでもいい。
他人にどう思われるかも関係ない。
ただ、自分の中にある欲望やイメージを
そのまま広げてみる。
・遠慮なく才能を発揮している自分
・存在感を放ち、自然と人が集まる自分
・自分の美意識に従って選択している自分
・誰からもエネルギーを奪われずに生きている自分
・自分のために生きる覚悟を持っている自分
そういう像は、ただの妄想ではない。
まだ表に出ていないだけの、自分の可能性の断片だ。
むしろ、空想にすら出てこないものは、
現実にも現れない。
空想を馬鹿にしているうちは、
自分の深い部分には触れられない。
人の心の深い部分は、
言葉になる前のイメージや空想として現れる。
だから、そこを雑に扱うと、
いつまでも表面的な生き方から抜け出せない。
「このままでいいのか」と感じているのに、
そのままにしている状態こそが、
一番ズレている。
違和感は、壊すためにあるのではなく、
取り戻すためにある。
自分の中にずっとあったものを、
思い出すための入り口として。

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